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山林は蘇るか?

2021年11月1日 月曜日

  我が家には7haあまりの山林がある。学生時代は、夏休みの2週間は、この山林の「下草刈り」をすることが父との約束であった。また、春休みは、前年に立木を切り出した後の山地を整備し、杉や檜の苗を植えた。その後40年、私は「下草刈り」も「苗木植え」も「枝打ち」も行っていない。父が亡くなり、今我が家の山林はそのまま手つかずの状態で荒れている。
  我が国の保有山林の規模は、10ha未満が面積で39.0%、戸数で87.8%、50ha未満が面積で70.7%、戸数で98.8%、100ha未満が面積で79.1%、戸数で99.6%、100ha以上が面積で20.9%、戸数で0.4%である。
  日本の木材価格のピークは1980年。平均価格は杉が1m3あたり39,600円、檜が76,400円であった。その後、価格は転がるように下がり、2018年には杉が1m3あたり13,600円、檜が18,400円になった。ピーク時に比べると杉は34%、檜は24%の価格である。更に「山元立木価格(丸太価格から木を伐り倒して運ぶコストを引いた後に残るお金)」でみると、杉は1980年の22,707円から2020年には2,900円に、檜は42,947円から6,358円に転げ落ちた。とてもこの価格ではビジネスとして成り立たたない。1955年に96.1%であった木材消費の自給率は2019年には37.8%になっている。国内産ではなく外材に頼る事態になっている。小規模山林保有者は自家の山林をそのまま放置することになり、時代が移ってその子供世代では自家の山林の場所や存在自体がわからないということも生じている。
  現在の日本全体の林業産出額(木材生産額と栽培キノコ類の生産額が半々)は約5000億円であり、ほぼ同額の補助金が交付されている。この補助金で立木の伐採や運搬が行われているが、補助金を毎年交付して林業を継続しているのであれば、自立した林業には程遠い。
  国土の3800万haのうち、実に2500万haが森林で、うち人工林が1000万haある。言いかえれば、これは我が国の大いなる資産であり、この木材の活用ができれば、林業は再興し、雇用も増え、山林も蘇る。さもなくば、無垢の材として使われるべきA材(丸太)がバイオマスの原料として使われる事態になったり、更に林業従事者の数が減り、棟梁や宮大工の職や技術が継承されず、我が国の木の文化がなくなるやもしれない。
  せめて、我が家の山林は蘇らせたい。さあ、枝打ちを始めよう・・・!椎茸づくりを始めよう・・・!

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 高原 要次

「神の米」

2021年10月1日 金曜日

 稲刈りを終えた田圃に、彼岸花(曼殊沙華)が赤い花を咲かせています。こうして収穫後の我が家の田圃を眺めるのは、実に良いものです。
 昨年まで、“この米は、私が作っているのではありません、これは大地と太陽が作っているのです。私はただ、水を管理したり、肥料を施したり、草を取ったりしただけです”と申しておりました。今年、私少し進化しました。
 師事している田口佳史氏(東洋思想の大家)の講義で次のような話がありました。東南アジアの留学生から、“日本の田圃は、どうしてこんなに美しいのですか?私の国でもコメを作っていますが、適当に植えていてもそれなりに収穫できますし、これほど田圃を綺麗にする必要はないのじゃないですか?”と質問を受けたそうです。これに対する田口先生の答えは“古代より日本では、米つくりは神さまと共に行っているのです。従って、田圃には「田の神さま」、社には「お稲荷さま」が祀ってある。神さまは、綺麗な所にしか降りてこないのです。だから、田圃を綺麗にして心を込めて作るのです”、と。
 仲屋敷という集落の我が家の敷地にも“お稲荷さま”が祀ってあります。田口先生の話を聞いて以来、より美しい田圃にするために早朝から田圃を廻り、水の具合を見、草取り・草刈りをしました。大雨や台風、猛暑、そして猪の侵入もありましたが、神さまを感じながらコメ作りに励みました。そして、先日稲刈りを終えました。
 この新米、まずは神さま(お稲荷さま)と仏様にお供えし、今食しています。実に美味しい、力が漲ります。この米、称して“神の米、なかやしき米
 今年、私も少し進化したように思います。

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「グリーン・ニューディール」

2021年9月1日 水曜日

 「グリーン・ニューディール」とは、「環境保全・再生可能エネルギーなどの産業分野に大規模な投資を行い、新たな雇用を創出し、経済活性化を目指す政策。従来の道路・ダム建設などの公共事業ではなく、環境ビジネスに投資することで、地球温暖化対策など環境問題への取り組みと経済再生の両立をはかるものとして期待されている。太陽光・風力・バイオマスなど再生可能エネルギーの利用拡大、電気自動車・プラグインハイブリッド車・燃料電池自動車などの次世代自動車の開発・普及など、さまざまな取り組みが各国で行われている。基本的な柱は、再エネと省エネの導入拡大による景気回復(雇用拡大)と温暖化防止である。“2050年、カーボンニュートラルの実現”に向けての、世界的な取り組みである。
 2017年のノーベル経済学賞は、行動経済学のリチャード・セイラー(米シカゴ大学教授)が受賞した。彼は、人間の本質として ①短期的視点しか持たない ②得よりも損を気にする ③不公平に敏感 の3つを挙げている。
 ①気候変動の被害が深刻になるのは将来 ②気候変動の対策には膨大はコストがかかる ③気候変動対策をやっている国とやっていない国がある、 と多くの個人が感じているならば、パリ協定で設定した2100年までに地球の平均気温の上昇を、産業革命以前に比べて2℃以下(努力目標は1.5℃)に押さえようという目標を掲げても、真剣にはならない。また、“地球にやさしく”という言葉や、“SDGs”のバッジをつけても、各人の行動スイッチは入らない。
 やはりこれは、各人の心がけやスローガンだけではなく、例えば国として地球的視野・長期的視野にたって、ジャスティス(正義)を発信し未来社会のことを真剣に考えて、義務化しなければ、実現しないのではなかろうか。果たしてそれが、この国で可能か・・・。
 それを法律という制度にまでした「国(カントリー)」が地球上に1つだけ存在する。ウエールズである。2015年に制定した「未来社会の豊かさと幸せに関する法(Well-being of Future Generations Act)」であり、これは「政府や地方自治体などのすべての公的機関はでの意思決定において、未来世代の利益が十分に検討されているかの検討が義務づけされた法律」である。
 我々は日本人として、また地球人として、次の世代に対して、未来に対して良い環境を残す責任がある!

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「“人新生”・・・地球の危機」

2021年8月1日 日曜日

 “人新生(Anthropocene)”とは、2000年に大気化学者のPaul Crutzenが、人類が地球の地質や生態系に与えた影響を発端として提案した想定上の地質時代である。“人新生”の特徴は、地球温暖化などの気候変動、大量絶滅による生物多様性の喪失、人工物質の増大・堆積物の変化などがあり、人類の活動が原因とされる。
 “人新生”がいつから始まったかは諸説あり、➀農耕の開始から(1万年前)➁資本主義の始まりから(17世紀~18世紀)➂産業革命から(19世紀始め)➃グレート・アクセラレーション(大加速)から(20世紀後半)、とある。
 地球温暖化。世界気象機関(WMO)の発表によれば、2019年の世界の平均気温は産業革命前のレベルを1.1℃上回ったという。因みに、2016年に発効したパリ協定が目指しているのは2100年までに気温上昇を産業革命以前と比較して2℃未満(可能であれば1.5℃未満)に抑え込むことである。温暖化の最も大きな要素である大気中の二酸化炭素(CO2)含有量は、産業革命前の280ppmから2014年には400ppmに上昇し、2021年6月時点では417ppmである。この増加の大部分は、石炭、石油、天然ガスといった化石燃料の燃焼による。
 生物多様性の喪失。2019年時点の報告では、約100万種の動植物が絶滅の危機に瀕しおり、生物種絶滅のペースは過去1,000万年の平均と比べて少なくとも数十倍から数百倍とされる。地球の全光合成生物資源の約半分を占める海洋プランクトンは、過去60年間で約40%が減少している。また、動植物種の25%が絶滅の危機に瀕しており、全ての昆虫種のうち40%が減少、特に花粉を媒介するハチやチョウなどの虫や動物の排泄物や死骸を分解する虫、水中に産卵する虫の状況が悪化している。原因は森林伐採、農地開発、農薬や殺虫剤などの化学物質である。
 人工物質の増大。人間が生み出した人工物の総量が約1兆1,000億トンに達し、地球上の生物の量を上回った。このままのペースでは、20年後には人工物量が生物量の3倍近くに達するとみられる。わたしたち人間は、コンクリートで固めた大都市を無造作に次々とつくりだし、広大なハイウェイ網を張り巡らせて都市をつなぐ。森の木々を切り倒して木材にし、家を建てる。自然の産物を加工して、砂をセメントやガラスに、石油をアスファルトに、鉄を鋼鉄に変えてきた。また、石油からプラスチックを作り生活用品に加工してきた。そして今、世界の海に存在しているといわれるプラスチックごみは、合計で1億5,000万トン。
 このように人類がもたらした変化が、地球の限界を越えつつある。地球をシステムとして考えると、恒常性を維持するレジリエンス(回復力)が働いている。しかし、回復不能点(ティッピング・ポイント)を超えると地球は壊滅的な状態になる。
 “人新生”、今地球は危機である。

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目には青葉 山ほととぎす 初鰹

2021年7月1日 木曜日

 “目には青葉 山ほととぎす 初鰹”。目の前に田植えを終えた田圃が広がり、初夏の心地よい風が吹き、鳥の声が聞こえてくる。そして夕べには西の空が茜色に染まる・・・。さて、私もここで一句と構えるのだが、言葉が見つからない、文字にならない・・・。

 東洋思想家田口佳史氏によれば、日本の地理的特性は①「森林山岳国家」であること。森林は水甕となり多くの川が流れ、それは清流。生命の源泉である水が常に清いということで、清いことに大いなる価値をおき、“清き明き心”を貴んだ。また、②「ユーラシア大陸の東端」に位置することも大きな意味を持つ特性である。大陸から、儒教・仏教・道教・禅仏教がもたらされこの地に溜り、古来の神信仰と融合し発酵して、鋭い感性と深い精神性の日本文化を創り出した。

 この二つに加えて、③「春夏秋冬の四季がある」ことで、自然と馴染み、自然と共に生きてきた。更に自然を“自ずと然り(おのずとしかり)”と呼んで、生き方・人生観にまで昇華した。  

 鋭い感性と深い精神性が、四季のなかで短歌や俳句として凝縮し、実に完成度の高い文化となった。古くから詩歌には季節が意識されており、俳句では必ず季語が含まれる。

 さて、素晴らしい景色を前にして言葉がでない、文字にならない私だったが、この情景写真を友人にメールで送った。返ってきたのが“メール来る 植田の光 添付して”(季語は植田)。う~ん、流石!小生、感性が足りないのか、ボキャブラリー不足なのか・・・。

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「マズローの欲求6段階説」

2021年6月1日 火曜日

アメリカの心理学者、アブラハム・マズロー(1908—1970)は、1943年彼が35歳の時に”A Theory of Human Motivation”(人間の動機づけに関する理論)を発表し、欲求の段階説を提唱した。この理論で、マズローは人間の行動のモチベーションの基礎を作る、5つの核となる欲求を述べている。
① 生理的欲求 → 食べたい、飲みたい、眠りたい
② 安全の欲求 → 自分の身の安全を確保したい
③ 愛と所属の欲求 → 集団に属したい/愛されたい
④ 承認欲求 → 自分の価値を認められたい
⑤ 自己実現欲求 → 自分の持っている可能性を発揮したい

マズローは「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮定し、この5つの欲求は、1番から順に現れて、その欲求が完全にではなくてもある程度満たされることで、次の欲求が現れると考えた。
実はマズローは晩年、5段階の欲求階層の上に、さらにもう一つの段階があると発表した。それが、自己超越
(Self-transcendence) の段階である。長らく「マズローの欲求5段階説」と言われてきたが、実は「欲求6段階説」だったのである。
6番目の段階の「自己超越」者 (Transcenders) の特徴は
  1. 「在ること」 (Being) の世界について、よく知っている
  2. 「在ること」 (Being) のレベルにおいて生きている
  3.統合された意識を持つ
  4.落ち着いていて、瞑想的な認知をする
  5.深い洞察を得た経験が、今までにある
  6.他者の不幸に罪悪感を抱く
  7.創造的である
  8.謙虚である
  9.聡明である
  10.多視点的な思考ができる
  11.外見は普通である (Very normal onthe outside)

マズローいわく「自己超越」の領域に達することができるのは全人類の2%程度で、第6欲求の実現を目指すのは稀なケースとされている。稲盛和夫氏が説く「利他の心」と相通ずるものがあるように思う。

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「孟子」の名言

2021年5月1日 土曜日

 「孟子」は、儒家である孟子の言行を弟子が編纂したもの。孟子は性善説を主張し、仁義による王道政治を目指した。この「孟子」から、名言を紹介したい。   (月刊「致知」名言集より)

 

至誠にして動かざる者は、未だこれ有らざるなり

(まごころを尽くして、それでも人の心を動かせないということはない)

自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も吾(われ)往(ゆ)かん

(自分が正しいと確信が持てるなら、阻む者がどれほど多かろうと、信じた道をわたしは進む)

天下の本(もと)は国に在(あ)り。国の本は家に在り。家の本は身に在り

(天下の基本は国にある。国の基本は家にある。家の基本はわが身の修養にある)

天の将(まさ)に大任を是(こ)の人に降さんとするや、必ず先(ま)ず其の心志(しんし)を苦しめ、其の筋骨(きんこつ)を労せしめ、其の体膚(たいふ)を餓(う)えしめ、其の身を空乏(くうぼう)せしめ、其の為さんとする所に払乱(ふつらん)せしむ

(天が、その人に重大な仕事をまかせようとする場合には、必ずまず精神的にも肉体的にも苦しみを与えてどん底の生活に突き落とし、何事も思いどおりにならないような試練を与えるのである)

人を存(み)るは、眸子(ぼうし)より良きはなし。眸子はその悪を掩(おお)うこと能(あた)わず

(人を見分けるのに、瞳ほど正直なものはない。瞳は心の悪を覆い隠せない)

或(あるい)は百歩にして後止まり、或は五十歩にして後止まる。五十歩を以て百歩を笑わば、則(すなわ)ち如何(いかん)

(ここに戦場から逃亡し、百歩で立ち止まった者と五十歩で踏みとどまった者がいるとします。五十歩逃げた者が百歩逃げた者を臆病者と嘲笑ったとしたら、どう思われますか。 ※成句である「五十歩百歩」の出典)

戒(いまし)めよ戒めよ、爾(なんじ)に出づる者は、爾に反るなり

(心せよ、心せよ。汝の行いはやがて汝に返ってくるのだ

天の時は地の利に如(し)かず、地の利は人の和に如かず

(天から与えられた好機も立地条件の良さにはかなわない。しかし、それさえも組織の結束力には及ばない

夫子親あり、君臣義あり、夫婦別(べつ)あり、長幼(ちょうよう)序(じょ)あり、朋友(ほうゆう)信あり

(父子は親しみの情によって結ばれ、君臣は正しい道によって結ばれている。また夫婦には外と内の役割分担があり、目上と目下には一定のけじめがあり、友人は信頼をもって結ばれていなければならない

 

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「中庸」の名言

2021年4月1日 木曜日

 人間の本性とは何かを論じ、「誠」の哲学を説く「中庸」。天人合一の真理を説き、中庸の誠の域に達する修養法を述べる。この「中庸」から、名言を紹介したい。   (月刊「致知」名言集より)

知者はこれに過ぎ、愚者は及ばず

(頭のよい人はやり過ぎてしまうし、愚かな者は及ばずに終わってしまう)

 天の命これを性と謂(い)い、性に率(したが)うこれを道と謂い、道を修むるこれを教えと謂う

(天から、かく生きるべしと人に与えられたものを性と言う。性にしたがって生きることを道と言い、道を学ぶことを教育という)

誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり

(誠は天の道である。誠の発現につとめるのが、人の道である)

至誠(しせい)神の如し

(至誠は神のような力をもつ)

 君子はその位(くらい)に素(そ)して行い、その外を願わず

(君子というのは、現在の位置や境遇のなかで与えられた責任を果たすことだけを考え、そのほかのことは一切念頭におかないものである)

其(そ)の人を待って而(しか)る後に行わる

(しかるべき人物が現れるのを待った上で、ものごとを進めなければ事をなすことはできない

隠れたるより見(あらわ)るるはなく、微かなるより顕(あきら)かなるはなし。故に君子はその独りを慎むなり

(隠そうとすればするほど、かえって世間に知られてしまう。些細なことほど、かえって目につきやすい。このため君子は、独りでいるときこそ行いを慎むのである

 

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「大学」の名言

2021年3月1日 月曜日

  “大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親しむに在り、至善に止まるに在り”と、三綱領(三つの実践項目)から始まる「大学」。自分をより高い人間性を持つことに導いてゆき、それによって人にもより良い影響を与えて正しい人の道へ進ませるという、「修己」と「治人」との組織的な連繋統一である。その「大学」から、名言を紹介したい。   (月刊「致知」名言集より)

「物に本末(ほんまつ)有り。事に終始有り。先後(せんご)する所を知れば、則(すなわ)ち道に近し」

(物事には必ず本と末、終わりと始めがある。そこで常に何を先にして、何を後にすべきかを知って行動すれば、その成果もおのずから期して待つべきものがある)

 苟(まこと)に日に新た、日々に新たに、又(また)日に新たなり

(どんな立場の人であろうと、毎日の生活や仕事というのは同じことの繰り返しが多い。うかうかやっていると、すぐにマンネリになってしまう。そうならないためには、常に意欲を奮い起こし、「日々に新たに」の決意で取り組む必要がある)

 君子は必ずその独りを慎むなり
(君子は人目のないところでも、必ず自分の心を正し、行いを慎む)

小人(しょうじん)間居(かんきょ)して不善を為し、至らざる所無し
(小人は暇を持て余していると、よからぬことを企み、やることに歯止めがかからない)

富は屋(おく)を潤し、徳は身を潤す。心広く体胖(ゆたか)なり
(お金があれば快適な家に住むことができる。それと同様に徳を身につけることができれば、体中を潤して、心は広々とし、体ものびやかになる)

徳は本なり。財は末なり。本を外にして末を内にすれば、民を争わしめて奪うことを施す
(徳こそが政治の根本であって、財は第二義的なものにすぎない。上に立つ者が財を優先させると、下もそれを見習って利益追求に走り、争いや奪い合いを引き起こす

心焉(ここ)に在らざれば、視(み)て見えず、聴きて聞えず、食らいて其(そ)の味を知らず
(心が散漫して止まるところがなければ、視てもその真実が見えない。聴いてもその真実が聞こえない。また食べても本当の味がわからない

 

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「論語」の名言

2021年2月1日 月曜日

「論語」は20編からなる中国の思想書である。孔子没後、門人による孔子の言行記録を、儒家の一派が編集したもので、四書のひとつ。処世の道理、国家・社会的倫理に関する教訓、政治論、門人の孔子観など多方面にわたる。日本には応神天皇の時代に百済 (くだら) を経由して伝来したといわれる。その中から、名言を紹介したい。(月刊「致知」名言集より)

「学びて時に之(これ)を習う、亦(また)説ばしからずや。朋(とも)遠方より来(きた)る有り、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや」
(聖賢の道を学んで、時に応じてこれを実践し、その真意を自ら会得することができるのは、なんと喜ばしいことではないか。共に道を学ぼうとして、思いがけなく遠方から同志がやってくるのは、なんと楽しいことではないか。だが人が自分の存在を認めてくれなくても、怨むことなく、自ら為すべきことを努めてやまない人は、なんと立派な人物ではないか)

 「吾(われ)十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順(したが)い、七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず」

(十五の年に聖賢の学に志し、三十になって一つの信念をもって世に立った。しかし世の中は意のままには動かず、迷いに迷ったが、四十になって物の道理がわかるにつれ迷わなくなった。五十になるに及び、自分が天のはたらきによって生まれ、また何者にもかえられない尊い使命を授けられていることを悟った。六十になって、人の言葉や天の声が素直に聞けるようになった。そうして七十を過ぎる頃から自分の思いのままに行動しても、決して道理を踏み外すことがなくなった)

 「徳は孤(こ)ならず、必ず隣(となり)有り」
(報いを求めず、陰徳を積んでいる者は、決して一人ぼっちではない。必ず思わぬところにこれを知る者がいるものだ)

「天を怨(うら)みず、人を尤(とが)めず。下学(かがく)して上達す。我を知る者はそれ天か」
(わたしは天を怨むこともなく人を責めることもなく、日常の問題から出発して、ひたすら自分を向上させることに努めてきた。そういう私を理解してくれるのは天だけであろうか)

「士は以て弘毅(こうき)ならざるべからず。任重くして道遠し」
(指導的立場にある人物は、広い視野と強い意志力を持たなければならない。なぜなら、責任が重く、道も遠いからである)

「学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し。思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し」
(読書にばかりふけって思索を怠ると、せっかくの知識が身につかない。逆に思索にばかりふけって読書を怠ると、独断に陥ってしまう)

「苗にして秀でざる者あり。秀でて実らざる者あり」
苗には芽吹いても穂が出ず花が咲かせないものがあり、穂が出ても実を結ばないものがあるように人間の成長も様々である

「道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に遊ぶ」
人として正しい道に志し、これを実践する徳を本とし、仁の心から離れないようにする。そうして世に立つ上に重要な芸に我を忘れて熱中する)

「力足らざる者は中道にして廃す。今汝は画(かぎ)れり」
(本当に力が足りない者なら、途中で力尽きてしまうだろう。お前は自分で自分の力を見限っているだけだ)

 

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