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「日本に一番近い外国はどこ・・・」

2022年11月1日 火曜日

  「日本に一番近い外国はどこ・・・」、韓国・・・?台湾・・・?
  それはロシアです。宗谷岬からサハリン(樺太)の南端までは、わずか43キロです。対馬と韓国の間は約50キロ、与那国島から台湾東海岸の宣蘭縣までは約100キロです。
  東京からロシアの首都モスクワまでの距離は約7,500キロ、そして今ロシアはウクライナと戦争状態にありNATOも交えてヨーロッパでの戦線のような感覚が、日本人にはある。従って、危機感に乏しい。すぐ隣の国ロシアが戦争状態にあり、この国の基本戦略である対アメリカの中で、矛先が太平洋に向かったならば、宗谷海峡を越えて稚内に戦車で上陸することがあり得るとは考えない・・・。
  北方領土返還要求をしているが、ここが日本に返ってくることはないであろう・・・。そもそも北方領土は、日本が江戸時代から交流し支配してきた。そして、幕末の1855年ロシアとの間でむすばれた日魯通好条約において「北方四島までが日本、得撫(うるっぷ)島からがロシア」と正式に決まった。なのになぜ、ロシアに奪われたのか?それは第二次世界大戦末期のこと、1945年8月8日、ソ連(ロシア)は「日ソ中立条約」という不戦条約を結んでいたにも関わらず日本を攻撃してきた。8月14日、日本はアメリカ・イギリス・中華民国(中国)が要求する「ポツダム宣言」を受けて降伏するのだが、ソ連だけは攻撃をやめず、北方四島を不法に占拠した。そもそもロシアは、覇権主義によって領土を拡大し、欲しいと思った地域は必ず奪い取る。この思想が代々の指導者に引き継がれ、北方四島も日本に返ってくることはないであろう。しかも、ここはすでにロシアの対アメリカ防御の戦略拠点になっているのである。ロシアは我が国の存亡にとって、非常に危険な国である。
  我が国を脅かすのはロシアだけではない。他に核兵器を持つ北朝鮮と中国も、虎視眈々と狙っている。日本という国を逆さ地図でみるとよくわかるが、朝鮮や中国にすれば太平洋へ出るのに蓋をされた感じである。ロシア同様に覇権主義の中国は間違いなく台湾を併合する。尖閣列島は勿論、沖縄も視野に入っていそうである。
  我が国は、化石化した憲法の下で「専守防衛」を基本としている。ロシア・北朝鮮・中国は、防ぐけれども攻撃してこない相手を怖いと思うであろうか・・・。これで「抑止力・・・?」、失笑ものである。
  日本には日米同盟があるから大丈夫という人がいるが、そもそも「自分の国を自分で守ろうとしない国」を、他国が命がけで守るはずがない。

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「稲盛和夫氏」

2022年10月1日 土曜日

  稲盛和夫氏が8月24日老衰で亡くなった、90歳であった。氏は鹿児島大学出身で、私も同大学の卒業である。しかし、稲盛氏はあまりにも偉大で、「はい、稲盛さんは先輩です」と言うには少々勇気がいる。
  稲盛氏の名言の一つに「自分が思い描いた夢は必ず実現する」というのがある。この言葉を聞いた当初は、そうかも知れないが現実は厳しい、必ず実現するとは言えないのではないか・・・、と思った。鹿児島大学稲盛記念館前にある稲盛和夫氏の碑文に
  「どんな逆境に遭遇しようとも/どれほど厳しい環境に置かれようとも/挫けることなく/常に明るい希望を持ち/地道な努力を一歩一歩たゆまず続けていくならば/自分が思い描いた夢は/必ず実現する」、とある。稲盛氏がいう“思い”とは、単なる願望や漠然とした願いではなく、考えに考え抜き、あらゆる手段を講じて、努力を尽くし、困難に怯むことなく、進んでいく、「潜在意識まで透徹するほどの強い持続した願望」を言うらしい。それならば、思い描いた夢は必ず実現すると言える。「努力」もまた然り。我々は安易にその言葉を使うが、“誰にも負けない努力をしているのか?”と問われれば、簡単にこの言葉は使えない。
 稲盛氏は、傑出した経営者であるがそれ以上に大いなる思想家である。稲盛氏の功績は膨大でるが、特に3つ挙げるとすれば、

 ●人生・仕事の成果 = 考え方×熱意×能力 を公式化した
  「能力」は殆ど問題とせず、「熱意」と「考え方」を力説した。「熱意」は、思いと努力である。
  「考え方」は“世の中や、社会に貢献することこそが、最良の生き方”であり、理念・哲学(フィロソフィ)として確立した。

 ●利他の精神
  「考え方」の、その根底にあるものが「利他の精神」。そして“動機善なりや、私心なかりしか?”を問う。

 ●盛和塾
  日本の多くの経営者は、実は経営を教わっていない。稲盛氏自身のフィロソフィとアメーバー経営を広め、「盛和塾」として日本はもとより、米国・ブラジル等海外でも経営者を育てた。

  稲盛和夫氏、この偉大な先輩と同じ学び舎で書生時代を過ごしたことを誇りに思い、その後少しではあるが氏に関われたことを、とても嬉しく思う。

 

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「鳥の眼・虫の眼・魚の眼」

2022年9月1日 木曜日

  ビジネスにおいて、また人生においても、「ものごと」を3つの視点から見て、問題を把握し、解決の方向性を探ることは、大変有効のように思う。それは「鳥の眼」・「虫の眼」・「魚の眼」である。
  「鳥の眼」・・・鳥は高く飛ぶことができ、高い所から広く全体を見ることができる。「鳥の眼」とは全体を俯瞰し、総合的・全体的に見るマクロの視点である。
  「虫の眼」・・・虫は小さな生き物で、草木や地面などと直接接触して、間近で目にすることができる。「虫の眼」とは、物事に近づいて様々な角度から(複眼で)細部を見つめるミクロの視点である。
  「魚の眼」・・・魚は海や川の流れを感じ取りながら泳ぐ。「魚の眼」とは、潮の流れのような周りの変化、時代の流れを敏感に感じ取り、時間軸を点だけで捉えるのではなく、線として捉え、環境を長期的に、その流れを見る視点である。
  さて、ビジネスマン。新入社員や経験の浅い人には、「虫の眼」的な職務を持たせ、現場・現物・現実の三現主義を実践させて基本を身につけさせることが肝要。ところが、そこで経験を積み、それなりに仕事ができるようになると、「虫の眼」だけでは部分最適の偏った考えになりかねない。次のステップで必要となるのが「鳥の眼」である。管理職は、より広い視野で全体最適を考えて判断し、マネジメントしなければならない。但し、「虫の眼」が不要という訳ではない。部分と全体、状況によって「虫の眼」と「鳥の眼」で柔軟に判断して仕事をする術を身につける。そして、「虫の眼」と「鳥の眼」をバランスよく使えるようになったら、物事の本質を見極め、先を見通すことができる「魚の眼」が養われていく。経営者は、“未来を描き、今を変革する”ことがミッションである。本質を見極めた上で、この「魚の眼」の視点がなければその職を全うすることはできない。
  「鳥の眼」・「虫の眼」・「魚の眼」、この3つの眼は特にリーダーには必須の要件である。その上で最終的には、物事を分別して捉えるのではなく無分別智としての「総合的直観力」が智恵と言える。

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西郷南洲の本質を探る

2022年8月1日 月曜日

 「西郷南洲(隆盛)」は、鹿児島県人は勿論、日本の多くの人々に人気がある。それは明治維新の偉業とは別に、人間西郷への敬愛に根差しているように思う。
 英雄とか英傑とか言われた人たちは、よく言行録を残しているが、西郷にはそれがない。そんなことをするよりも、自分自身がふだん言っていることや、生き方そのものが言行録だったのであろう。この人間西郷南洲は、どのようにして完成されたのであろうか。
 薩摩では、市中のみならず地方においても地域を幾つかに分けた地区(郷中)で、その地区に住む子供たちを幼年と少年に分け、少年が幼年を教育する制度が存在した。午前中は、四書五経等の学問を、午後は武術や体の鍛錬などを行った。この「郷中教育」で幼年・少年時代の西郷は鍛えられた。長じて西郷は大久保利通(一蔵)や青年たちと、朱子学の「近思録」や陽明学の「伝習録」を学び合い、それが行動となった「精忠組」のリーダーに押される。
 更に藩主島津斉彬に意見書を出すことによって認められ多大な影響を受ける。そして、江戸に随行し「庭方」として活動する中で、水戸の藤田東湖やそこに集う、橋本左内・佐久間象山・横井小楠・吉田松陰らと親交を結び、彼らに大きな刺激を受ける。
 しかし、斉彬が急死し、藩主の父島津久光に疎まれて奄美大島、徳之島・沖永良部に流された。この間、独居・慎独と「嚶鳴館遺草」(細井平洲)や「言志四録」(佐藤一斎)の書物から修己の質を高め、島の人々との交流のなかで自己の進化を遂げた。
 西郷の特徴は、自分を出し惜しみせず、全力でぶつかる誠実さである。自分の経験した痛みから、相手の痛みがわかり、優しさと人間愛に満ちていた。また、困難を引き受けつつ、いつ死んでもいいという姿勢を保っていた。これが相手の心を打ち、西郷贔屓にした。
 西郷自身が書き残したものではないが「西郷南洲遺訓」というものが存在する。これは、庄内藩士が西郷の口からでた言葉を綴ったものである。庄内藩は、戊辰戦争の時新政府に敵対したが、西郷のお陰で寛大な処分を受けた。西郷に恩を感じ感謝して、藩士の数十人が鹿児島に西郷を訪ね起居を共にし、西郷の言うことや行うことを聞き、西郷から学ぼうとした。その時記したものが「西郷南洲遺訓」として後年まとめられた。四十一あり、追加がいくつかある。その内容は、西郷が「論語」や「言志四録」はじめ書物から学び行動してきた中で凝縮された言葉であり、代表する言葉が「敬天愛人」である。「天」を敬い、道理を重んじ、「人」を愛する、ということであるが、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉が含まれているように思う。

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「五常」(仁・義・礼・智・信)

2022年7月1日 金曜日

  「五常」とは、孔子、孟子が説いた仁・義・礼・智の「四端」(生まれながらに人に備わっている四つのもの)に、前漢の董仲舒が「信」を加えて「五常」とした。
  「仁」・・・慈しみの心、思いやりの心。周りの人を愛し、人の立場に立って、物事を考
        える心を持つ。
  「義」・・・人の歩んでいく正しい道。私欲にとらわれせずに為すべきことをすること。
        正義、道理、筋。
  「礼」・・・礼節の心。親や目上の人に礼儀を尽くし、相手には敬意をもって接すること。
        秩序。自分を律し、節度ある行動をとる。 
  「智」・・・善悪を真に理解できる知恵。人や物事の善悪を正しく判断する。
        智慧。様々な経験を積み偏りの無い考え方を持つ。
  「信」・・・嘘をつかない。心と言葉、行いが一致している。
        約束を守り、誠実であること。
  因みに、603年(推古11年)に聖徳太子(厩戸皇子)が制定した冠位十二階は、「五常」に徳を加え、それぞれに大小をつけて、大徳・小徳、大仁・小仁、大礼・小礼・・・と、十二の冠位を定め、個人の能力や功績によって冠位を与えた制度である。「五常」の教えは、冠位十二階の基礎となっている。
  論語に「子曰く、徳有る者は必ず言(げん)あり。言有る者は必ずしも徳有らず。仁者(じんしゃ)は必ず勇有り。勇者は必ずしも仁(じん)有らず」とある。(徳のある者は必ずよい言葉を言う。しかしよい言葉を言うものは必ずしも徳のある者とは限らない。仁のある者は必ず勇気がある者だが、勇気がある者が必ずしも仁のある者とは限らない。)
  「徳」とは最高の人としてのあるべき姿、人間に備わっている良き性質を意味するが、徳の内容が、仁(思いやり)、義(正義)、礼(秩序)、智(智恵)、信(言行一致)である。孔子はこの五常の徳の中で「仁」が一番徳の高い、大事なものだと言っている。

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「五倫」(父子有親,君臣有義,夫婦有別,長幼有序,朋友有信)

2022年6月1日 水曜日

 五倫(ごりん)は、儒教において主として孟子によって提唱された5つの道徳法則である。

「父子有親,君臣有義,夫婦有別,長幼有序,朋友有信」
 父子の親・・・父と子の間は親愛の情で結ばれなくてはならない。
         父親は男子、特に長男に対して厳しく育てようとするし、子は時として反発もする。
         父と子の間には親愛があればいい。しかし、それがなければ、うまくいかない。
 君臣の義・・・君主と臣下は互いに慈しみの心で結ばれなくてはならない。
         義とは、他人に対して守るべき正しい道であるが、君主と臣下の関係ではそれを行うにおいて、
         お互いに慈しむ心が必要である。
 夫婦の別・・・夫には夫の役割、妻には妻の役割があり、それぞれ異なる。
         夫には父性としての義愛が、妻は母性としての慈愛が必要であり、夫婦の役割は異なるのである。
 長幼の序・・・年少者は年長者を敬い、したがわなければならない。
         何しろ、長く生きているということは、そのことだけで尊い。年長者を敬うのは当然である。
 朋友の信・・・友はたがいに信頼の情で結ばれなくてはならない。
         「朋」とは学びを同じくするもの。「友」とは志を同じくするもの。そこには、信頼がないと朋友にはなり得ない。

 戦国時代にあらわれた孟子においては、秩序ある社会をつくっていくためには何よりも、親や年長者に対する親愛・敬愛を忘れないということが肝要であることを説き、このような心を「孝悌」と名づけた。そして、『孟子』滕文公(とうぶんこう)上篇において、「孝悌」を基軸に、道徳的法則として「五倫」の徳の実践が重要であることを主張した。

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エリザベス・サンダースホーム

2022年5月1日 日曜日

  「エリザベス・サンダースホーム」は、神奈川県大磯町の児童養護施設である。その設立は1948年。
   第二次世界大戦後に日本占領のためにやってきたアメリカ軍兵士を中心とした連合国軍兵士と日本人女性の間に強姦や売春、あるいは自由恋愛の結果生まれた子供は数万人いた。彼らは「GIベビー」と呼ばれ、本国に帰国した軍人に置き去りにされ、両親はおろか周囲からも見捨てられた孤児であった。三菱財閥の創始者岩崎弥太郎の孫娘である澤田美喜が、この混血孤児たちを救うべく財産税として物納されていた岩崎家大磯別邸を募金を集めて買い戻して設立したのが、この「エリザベス・サンダースホーム」である。
  今でこそ、国際結婚が歓迎され、そして生まれた子供も芸能界やスポーツ分野で“ハーフ”として尊重される存在であるが、戦後は“あいの子”と言われて差別され、特に黒人との間に生まれた“あいの子”は蔑視されることもあった。そんな彼らを、澤田は“我が子”としてホームに迎え、1600人以上を育て社会に送り出したのである。このホームで育った園児は、彼女を“ママちゃま”と慕い、生涯敬意を抱いて生きた。
  澤田は、人種差別がないブラジルに園児たちを送り出すべく、1963年にはアマゾンの土地を購入し、ホーム内にアマゾン教室を開設し、卒業する前に開拓者の教育と農業実習を受けさせた。このプロジェクトに協力を申し出たのが、南部尚(拓殖大学)をはじめとする当時全国56大学で組織していた日本海外移住連盟の有志だった。彼らは、園児の受け入れ先遣隊として、アマゾンの移住地トメアスーで胡椒農場を開く準備にあたった。1965年第一陣として園児6人がブラジルに渡ったがブラジル政府から上陸を拒否された。
  南部尚氏は、そのままトメアスー移住地で開拓者として、胡椒やパーム椰子、フルーツ栽培に励み、まさにパイオニアとしてアマゾンの地で生涯を閉じた。私は、1999年トメアスー移住地でのアマゾン移住70周年記念式典で南部氏と会い、三日間一緒に過ごしたが、その穏やかな人柄とクリスチャンとしての高貴な心と開拓者精神に感銘を受けた。
  飽食の時代に生きながら戦争反対を声高に叫び、また日本人自身が慰安婦問題を捏造し、韓国のロビー活動でアメリカの地に慰安婦像が建っている。
米国は、「GIベビー」という好ましからざる現実を認めず、他国の人権問題を政治にからめる。
  戦争のことを考えるとは、究極は人間を考えること。澤田美喜さん、南部尚さん、その“美しさ”に敬意を表する。

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「ウクライナと日本」

2022年4月1日 金曜日

 クイズです。次の5つの特徴を持つ国はどこでしょう?
 ・国民は平和ボケしている
 ・「軍隊はなくてもいい」という論調が強い
 ・近年、国益を明らかに損なった売国政権を経験している
 ・外国に媚びた弱腰外交を行っている
 ・愛国者は「ナショナリスト」「ファシスト」とレッテル貼りされている

 まさにこれは日本だ、と私は思ったのですが、答えはウクライナ。ウクライナ出身の国際政治学者グレンコ・アンドリーが2019年に著した「ウクライナ人だから気づいた日本の危機」のクイズです。
 今、ウクライナで戦争が起こっている。そもそも、ウクライナはなぜロシアに攻められなければならなかったのか。ソ連共産党のゴルバチョフ書記長がペレストロイカを推し進め1991年ソビエト連邦が崩壊し、ロシアやウクライナをはじめ15の共和国が成立した。ウクライナには独立直後からロシアやアメリカによって「核兵器を放棄するように」と再三の要請がなされた。そして、協力機構(OSCE)会議で署名された議定書で、ウクライナは米・英・露に「国境の不可侵」を保証されたことへの見返りに、絶大な抑止力である「核」を放棄した。だが、結果は無残だった。議定書は国際条約ではないので、それを守る法的義務はなく、核兵器をロシアに引き渡したウクライナに待っていたのは、ロシアによる「侵略」という現実だった。その最たる要因は、ウクライナ国民の“平和ボケ”。そして日本とウクライナの共通点が、まさに“平和ボケ”。
 日本国憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義」、を信頼することがいかに「ありえない」ことか、そしてこれで「われらの安全と生存を保持しようと決意した」日本人の理想がいかに「非現実的であるか」が、わからぬはずはない。
 ロシアは今、ソビエト連邦時代の版図を描いて侵攻している。中国は、「百年の恥辱を晴らし、偉大なる中華民族の復興を果たす」として版図を拡げんとしている。
 『平和を愛する国々』が日本を虎視眈々と狙っている。非常に危険である。ロシアのウクライナ侵攻は対岸の火事ではない!

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老人支配国家・・・

2022年3月1日 火曜日

  歴史人口学者のエマニュエル・トッド著「老人支配国家日本の危機」の結論は、“日本の本当の危機は、コロナでも経済でも中国でもない。「日本型家族」だ”というものだ。
  この本の中でトッドは、英米のアングロサクソン社会が近年の世界史を牽引してきたが、それは「創造的破壊」という概念と深い関係がある、と言っている。「創造的破壊」とは、自分が作り出したものを自分自身で破壊し、新しいものを創ることであり、英国人・米国人はそれに長けている。その理由は、英米の伝統的家族形態、すなわち「絶対的核家族」にあると。絶対的核家族においては、子供は大人になれば、親と同居せずに家を出て行かねばならない。しかも、別の場所で独立して、親とは別のことで生計を立てていかねばならない。これらのことが、英米の人々に「創造的破壊」を常に促していると考えられる。と。
  「直系家族(長子相続)社会」である日本の美点は、「世代間継承」、「技術・資本の蓄積」、「教育水準の高さ」、「勤勉さ」、「社会的規律」があげられる。そして、「親」と「老人」を敬う儒教社会では、「成人した子供」が「親の世話を担う」。
  しかし長所(美点)が短所に反転することがある。今まさに日本はその状況にあり、「創造的破壊」が困難になっている。
  2020年時点での各国の中位年齢は、日本48.8歳、ドイツ47.4歳、韓国43.1歳、フランス41.9歳、タイ40.5歳、中国38.7歳、米国38.6歳、ブラジル33.4歳、ベトナム32.6歳で、先進国平均は40.2歳、発展途上国平均29.1歳、全世界平均は30.9歳である。日本は世界で最も年齢の高い国になっている。
  更に2021年10月の衆議院選挙の投票率を見てみると、20歳代36.50、30歳代47.12、40歳代55.56、50歳代62.96、60歳代71.43、70歳代以上61.96である。若者の投票率は極めて低く、現役世代の投票率も低い。高いのは高齢者、特に定年を迎える60歳代が最高である。
  つまり世界最高齢国家の日本は、この国の将来の決定(国政)を高齢者の判断にゆだねているのである。高齢者は、「老人にとって得か損か」ではなく、「将来を担う若者たちのために、またこれから生まれてくる子供たちのために」という軸で投票してくれるであろうか・・・。
  今回の新型コロナでは、「老人」の「健康」を守るために「若者」と「現役世代」の「生活」を犠牲にした。社会の活力は出生力に依存する。高齢者の死亡率よりも重要なのは出生率であり、「老人の命を救う力」よりも「次世代の子供を産み、育てる力」が問われる。そして、「創造的破壊」から「新しい明日」を創る活力を有したい。

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ワークライフバランスと仕事観

2022年2月1日 火曜日

  13年前になるが、2009年1月31日北九州市の大学の「生涯学習フォーラム」のパネルディスカッションに呼ばれた。テーマは「ワークライフバランス」。この日は私の誕生日だったが、その5日前に母を亡くし、悲しみが癒えないままにパネルディスカッションに臨んだ。
今でも、あの場面が目に浮かぶ。
  パネラーは三人、総務省より出向の北九州市副市長(女性)、大手新聞社西部支社支社長(男性)と私(男性)である。北九州市が進めるワークライフバランスに有効な意見を求められていたのであろうが、私の結論は「仕事」と「人生」を天秤にかけてバランスをとるのは適当ではない。「仕事」は「人生」に包括されており、「仕事」が充実しないと「人生」は充実しない。というものであった。
  その後、“ワークライフバランス”という言葉は社会に広がり、“ブラック企業”、“セクシャル・ハラスメント(セクハラ)”・“パワー・ハラスメント(パワハラ)”、さらに“働き方改革”、“生産性向上”とすすんでいく。働く環境が良くなり、仕事の質が向上することは大いに賛成である。しかし、我々日本人の「仕事観」の変化が少々気になる。
  山本七平はその著書「日本資本主義の精神」の中で、「いずれの社会であれ、その社会には伝統的な社会構造があり、それが各人の精神構造と対応する形で動いており、そこにはそれぞれの原則がある」と述べている。つまり、日本の会社は単に経済学・経営学の観点だけではなく「見えざる原則」で動いている、と。ポイントは、日本人にとっては「仕事は経済的な行為ではなく、一種の精神的充足を求める行為」という側面があるという点だ。
  この思想の源流は江戸初期の禅僧(曹洞宗)鈴木正三である。鈴木正三は、宇宙の本質は「一仏(ひとつの仏)」であるとし、「仏法をもって世を修めたい」とした。さらに、「四民日用」を著した。これは、四民(士農工商)の、それぞれがどのようにしたら成仏できるか、という問いに答えたものである。例えば「農人日用」では、「『仏行いはげめ』などと言われても、農民にはそんな余暇はまったくない、どうしたらいいでしょうか?」という問いに対して、正三は「農業則仏行なり」と明確に答えている。ここに「職業は修行なり」という職業観が確立され、日本資本主義の倫理の基礎が築かれた。
  さて今日の日本であるが、確かに労働時間は短くなり「滅私奉公」という言葉は聞かなくなった。しかしこの25年間、日本のGDPも一人当たりの所得も停滞し、世界におけるプレゼンスは下がるばかり。また、一流と言われた大企業でもデータ改ざんや不正が行われ、商品品質・企業品質は低下し“ジャパンブランド”の信頼度は下がった。嘆かわしいことである・・・。
  得か損かの仕事観ではなく、仕事を修行と捉え、研鑽に励む日本人を復活させたい。

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