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「劣化する日本人」

2024年5月1日 水曜日

 日本のGDPが昨年ドイツに抜かれ、世界第4位になった。急速に進む円安が影響しているとはいえ、経済面での停滞のあらわれである。日本は1968年に西ドイツを抜き、アメリカに次ぐ世界第2位になり、この順位は長く続き経済大国と言われた。そして、2010年に中国に抜けれて第3位に、昨年ドイツに抜けれて第4位、そして来年2025年にはインドにも抜けれ、第5位に沈む・・・。我が国は、このまま「失われた10年」、「失われた20年」、「失われた30年」、・・・と続くのであろうか。
 今国内では、政党派閥の裏金問題が大きな話題であり、政党内での裏金つくりのからくり、そしてそれに関わる政党リーダーの説明能力のなさ、責任感や倫理観の欠如、自己保身のための不誠実な姿勢に、落胆を禁じ得ない。
 この国は課題山積である。①国の周辺には、所謂独裁者といわれるトップが率いる侵略国家が虎視眈々と我が国を狙っている。この国の、国防・安全保障をどうするのか?同盟国という米国にすべてを依存していていいのか?②食料自給率は3割を切っている。コメ以外の殆どを輸入しているのに、テレビでは多くのグルメ番組や料理店の紹介番組が放映され、贅を競っている。③石油・石炭・LNG等のエネルギーや鉱物資源は、その多くを海外に頼っている。戦争や危機が頻発する情勢で、調達ルートや外交はこれでいいのか?         このような問題を、国政レベルで十分な解析、効果的な立案を行い、実践する。それを、リーダーとして行うのが政治家ではないのか。
 翻って、ビジネスの現場で経済活動の実際を行うは一人ひとりの国民であり、政治家を選ぶのも選挙人たる国民一人ひとりである。この一人ひとりの国民のレベルや民度が近年落ちてきているように感じる。
 人としての「ありよう」である「正心誠意・致知格物」、修行としての仕事観、「徳」の概念、を忘れ去り、「得か損か」・「楽か苦か」で判断し、「今だけ・金だけ・自分だけ」という極めて嘆かわしい精神構造になっている。まさに、日本人は劣化している・・・。

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 高原 要次

「TO BE GOODを」

2024年4月1日 月曜日

  牛尾治朗氏(ウシオ電機会長)の著書「わが人生に刻む30の言葉」の第1章は「人をつくる」、その第1項は「人間のあり方の基本」、そしてその最初の話が「to do goodを考える前に to be goodを目指しなさい」である。

  この言葉は、牛尾治朗氏が大学4年生で東京銀行に就職する前に、安岡正篤氏を訪ねた時に言われたことだそうです。牛尾さんは、面談の時に、銀行業務を全般的に身につけたい、その後アメリカに留学し国際的な視野を持てるようになりたい等、あれをしたい、これをしたい、こうなりたい、ああなりたい、という話をしたそうです。その時に、安岡正篤氏から「治朗さん、to do goodを考える前に to be goodを目指しなさい」と言われたそうです。

  牛尾さんは、この言葉に衝撃を受けた、そして胸の底に垂直に落ちてきた、と述べています。業務に取り組むにしろ、事業を営むにしろ、国を治めるにしろ、何をやるにしても、その基盤となるのは「自分の人間としてのあり方」なのだ、と。                            

  より良くあろうとする。自分を修める。to be good。そこがしっかりしていなければ何もできないし、何者にもなりえない。そのことが痛いほど身に染みてきた、とのこと・・・。

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 高原 要次

「スマホ脳 ― 人類の進化の観点から ―」

2024年3月1日 金曜日

 自動車や電気、スマホは我々にとってごく自然の存在であるが、我々自身が子どもであった時代と比べると実に便利な世の中になった。そして今、多くの人がスマホを1日平均4時間使い、2割の若者は7時間も使うそうだ。朝起きてまずやるのは、スマホに手を伸ばすこと。1日の最後にやるのは、スマホをベッド脇のテーブルに置くこと。私たちは1日に2600回以上スマホを触り、平均して10分に1度スマホを手に取っている。 

 人類が誕生したのは、およそ500万年前のアフリカである。その後、猿人(約500万年前に出現:アウストラロピテクス)・原人(約180万年前に出現:ホモ・エレクトゥス)・旧人(約20万年前に出現:ネアンデルタール人)・新人(約4万年前に出現:クロマニョン人など)の順に進化して、今に至っている。この間、狩猟や採集、そして農耕へと変わっていくが、人類が生きた期間の99.9%の期間は食料が不足していた。この飢えた環境の中で、いかにして生存し、遺伝子を残すかが基本命題であった。 

 「スマホ脳」の著者アンデシュ・ハンセンによれば、この“生き延びて、遺伝子を残す”という基本命題に基づいて人類は進化(身体も脳も)してきたそうだ。明日食べ物がないかもしれない環境では、目の前に食べ物がある時にできるだけ沢山食べて体内にストックし、空腹のときにエネルギーを補給する。また、脳は生き残るために“今、どうすればいいか?”を常に問いかけ、周囲の環境を探る機能を進化させて、生き残る確率を高めてきた。 

 人類が生きてきた99.9%の「飢餓」の時代の一般的な死因は飢餓、干ばつ、伝染病、出血多量、そして誰かに殺されることだった。今は「飽食」の時代となり、一般的な死因は、心臓血管障害と癌であり、高カロリー摂取による肥満や糖尿病、血管障害が増え、精神不安を訴える人々も増加している。人類の進化の前提であった飢餓社会(99.9%)が飽食社会(0.1%)に急激に変化し、我々の身体も脳も適応できていないのが今である。 

 周囲の環境を理解するほど、生き延びられる可能性は高まる。そのために人間は、新しい情報を探そうとする本能を発達させてきた。この本能の裏にある脳内物資が「ドーパミン」である。新しいことを学ぶと脳はドーパミンを放出する。  
  
 我々の祖先が生きた時代は、食料や資源が常に不足していた社会であり、それを得んがために新たな可能性を求めて移動するように、突き動かしたのであろう。今も脳は基本的には昔と同じままで、新しいものへの欲求は残っている。しかしそれは、単に新しい場所を見たいという以上の意味を持つようになった。それは、パソコンやスマホが運んでくる新しい知識や情報である。パソコンやスマホのページをめくるごとに、脳がドーパミンを放出し、その結果、私たちはクリックが大好きになり、スマホを離せなくなるのである。       

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 高原 要次

「運は100%自分次第」

2024年2月1日 木曜日

“私は運がいい男だ”、“私は運と縁だけで生きている”と公言して憚らない私であり、私の親しい友人たちも皆、“自分は運がいい”と思っている人たちである。            

「運がいい人」というのは、なぜだかわからないがLuckyが続き、いい人生を送っている人で、「運がわるい人」というのは、なぜだか
Un-Luckyが続き、あまり良い人生を送っていない人なのであろうか?

“経営の神様”と言われた松下電器の創業者松下幸之助氏が、「経営者に最も必要とされる要素は何ですか?」と問われた時、「それは、運がいいことです」と答えたそうである。次に、「運をよくするには、どうしたらいいですか?」と訊かれた時、「それは、徳を積むことです」と答えた。

儒教の基本的な教えに「五常(仁・義・礼・智・信)」がある。これは、四徳である「仁」・「義」・「礼」・「智」を行うことによって、周りからの「信」を得る、ということである。そもそも「天」(宇宙)の願いは、我々人間に「明るく幸せに過ごしてほしい」、そして「そのような社会をつくって欲しい」、ということのようである。そのために天が人間に与えたものが理性・本性・人間性である(天の命ずる、之を性という)。具体的には、仁・義・礼・智・信の徳目であり、この徳目の行為を行っていけば、そのご褒美が天から与えられ、それが「運がいい」ということになるのではないかと思う。

脳科学者中野信子氏の著書「科学がつきとめた運のいい人」によれば、運がいい人には共通した考え方や行動パターンがあるそうだ。
例えば
・「自分は運をいいと決め込む」
・「積極的に運がいい人とかかわる」
・「早寝早起きする」
・「おもしろそうかどうかで決める」
・「あえてリスクのある道を選ぶ」
・「より多くの人のために祈る」
・「自分なりの幸せの物差しで測る」    等々

つまり、その行動特性がいい結果につながり、「運」を引きよせている。行動は、自分自身でコントロールでき、「運」は100%自分次第なのである。

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 高原 要次

「地震」

2024年1月1日 月曜日

 先日、熊本県益城町を訪ねた。2016年の熊本地震で最も被害が大きかった地域である。震度7が2回、震度6が5回、震度5が18回、震度4以上が145回、震度1以上は4,484回だったそうだ。壊滅的な被害を受けた益城町が、まさに復旧・復興に取り組み、7年後の今新たな景観を見せている。「よくぞここまで・・・」と、住民,、行政、関係者の方々に心から敬意を表する。
 地震は、地球の地下に存在する「プレート」と呼ばれる岩盤のずれによって発生する。海のプレートに引きずり込まれた陸のプレートの先端が跳ね返って起きる地震を「海溝型地震」、プレートが押し合ってプレート内の岩の層が崩れて起きる地震を「内陸型地震」という。熊本地震は、内陸型地震で「日奈久断層帯」と「布田川断層帯」の地殻変動で、益城町はこの2つの断層が交差している。
 気象庁の、2020年の発表によれば、内陸型である「首都直下地震」で想定されるマグニチュード7程度の地震の30年以内の発生確率は70%程度。海溝型の「南海トラフ地震」では、マグニチュード8~9クラスの地震の30年以内の発生確率が70~80%だそうである。
 これらの数字は、地震の発生リスクがかなり高い数値である。しかし、多くの人はいわゆる「正常化バイアス」がかかり、リスク回避や事前の備えを行わない。「正常化バイアス」とは、危険や脅威が迫っていることを示す情報に対して、それを無視し過小視して異常を日常文脈の範囲内として処理しようとする認知傾向のことである。
 豪雨や土砂災害は、予報によりかなりの程度で事前の避難が可能である。しかし地震はいつ来るかわからない。日頃の備えが必要である。

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高原 要次

「聖徳太子(厩戸皇子)と仏教、儒教」

2023年12月1日 金曜日

 「聖徳太子」、昭和33年(1958年)より1万円札の絵柄になり、30年ほど流通していたので、日本人には馴染み深い。聖徳太子とは後世の尊称であり、実名は厩戸皇子。推古天皇の下、蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど中国大陸を当時統治していた隋から進んだ文化や制度をとりいれて、冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を行った。更に、仏教を厚く信仰して興隆に努め、後世には聖徳太子自体が日本の仏教で尊崇の対象となった(太子信仰)。しかしまた、冠位十二階や十七条憲法をみると儒教の思想もまた色濃いことがわかる。
 
 「冠位十二階」とは、朝廷に仕える官人に授けられる官位制度である。ここに定められている大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智という全十二の冠位は、儒教の基本倫理である「五常」の徳目「仁・義・礼・智・信」、に「徳」を付加して6つにし、それぞれ大・小の2つに分けて十二冠位としている。儒教では、通常「五常」を仁→義→礼→智→信と並べるが、「冠位十二階」では、最上位に「徳」を置き、仁→礼→信→義→智という順序になっている。この順列にこそ、古代において理想的な国家の樹立を目指した聖徳太子の思想が表れている。「十七条憲法」で最も知られる冒頭の条文「和を以て貴しと為す」は、『礼記』のなかの「礼は之(これ)和を以て貴しと為す」や『論語』のなかの「礼の用は和を貴しと為す」が典拠である。十七条の中には儒教の経書に影響を受けたとみられる文言が数多く見られる。

 聖徳太子が生きた年代は、西暦574年から622年。儒教が日本に伝わったのが、継体天皇の時代の513年、百済より五経博士がもたらした。また、仏教伝来は538年(あるいは552年)とされている。儒教・仏教の伝来から100年も経たたないのに、この高度な知識を習得し、国つくりを行ったことに驚きを禁じ得ない。そのエネルギーをもたらしたものは何なのか、やむにやまれぬ事情があったのか・・・。
厩戸皇子に訊いてみたい。

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高原 要次

「曼荼羅チャート」

2023年11月1日 水曜日

  曼荼羅はもともとサンスクリット語の「マンダラ」の音訳で、マンダラは中心・心髄を意味する「マンダ」と所有を意味する「ラ」の合成語である。つまり「大宇宙の本質的なものを諸仏の配置によって表現し、感覚的・現象的に把握できるようにしたもの」といえる。特に密教においては、経典や注釈書だけでは密教を理解することは難しく、曼荼羅が非常に重要視される。

  マンダラ・チャートとは、曼荼羅模様のようなマス目を作り、そのマス目一つ一つにアイデアを書き込むことで、アイデアの整理や拡大などを図り、思考を深めるものである。   

  現在MLBロサンジェルス・エンエルスで、投手と打者の二刀流で活躍している大谷翔平選手は、花巻東高校時代にマンダラ・チャートを使って今後どうなりたいかといった夢に対する思考を整理し、実行していったそうだ。花巻東高の佐々木洋監督の指導で、高校1年生の時につくったマンダラ・チャートがある。真ん中に「ドラ18球団」と記し、その実現のための8つの要素が「体つくり」・「コントロール」・「キレ」・「スピード160km」・「変化球」・「メンタル」・「人間性」・「運」である。そして、それぞれの要素を細分化して、具体的な行動を8つずつ書いている。計64の目標達成のための行動である。

  高校1年生が、よくここまで思考を深め具体的な行動レベルまで落とせたことに感心する。さらに、フィジカル面、メンタル面と一般に表現するが、彼の場合は「人間性」や「運」ということを明記していることに驚かされる。この精神面の特性が、大谷の大きな成長理由にあがられる。

 この大谷翔平のマンダラ・チャートを見ていると、現在の彼の野球選手としての結果や、彼の振る舞いが、よく理解できる。彼に、心からの敬意を抱かずにはおれない。

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「敬老の日」

2023年10月1日 日曜日

  山間部の我が地域の「敬老会」が、先日催された。対象は80歳以上、住民789名のうちの113名が該当者、14.3%である。因みに、14歳以下(中学生以下)は8.6%。典型的な少子高齢化地域である。
 「敬老の日」、歴史上の由来としては聖徳太子が老人や病人向けの施設「悲田院」を作った日であるとするもの。また、元正天皇が養老の滝に行幸した日、もしくは高齢者に贈り物をした日などとある。
  今日の「敬老会」は、1947年(昭和22年)9月15日に兵庫県多可郡野間谷村が、「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という趣旨から開催したことが始まりである。9月15日という日取りは農閑期にあたり、気候も良い9月中旬ということで決められた。昭和22年当時は戦後の混乱期で、子供を戦場へ送った親たちも多く、精神的に疲労の極にあった。そうした親らに報いるべく「養老の滝」の伝説にちなみ、9月15日を「としよりの日」とし、55歳以上の人を対象に敬老会を開いたのである。
  翻って今日、人権問題の一つに「高齢者問題」があげられるのは、実に嘆かわしいことである。高齢者の介護・虐待、認知症に対する偏見等、本来敬われるべき高齢者が疎んぜられ、虐待を受けるなど言語道断である。
  儒教の道徳法則に「五倫(ごりん)」というものがある。「父子有親,君臣有義,夫婦有別,長幼有序,朋友有信」である。

父子の親・・・父と子の間は親愛の情で結ばれなくてはならない。
        父親は男子、特に長男に対して厳しく育てようとするし、子は時として反発もする。
        父と子の間には親愛があればいい。しかし、それがなければ、うまくいかない。
君臣の義・・・君主と臣下は互いに慈しみの心で結ばれなくてはならない。
        義とは、他人に対して守るべき正しい道であるが、君主と臣下の関係ではそれを行うにおいて、
        お互いに慈しむ心が必要である。
夫婦の別・・・夫には夫の役割、妻には妻の役割があり、それぞれ異なる。
        夫には父性としての義愛が、妻は母性としての慈愛が必要であり、夫婦の役割は異なるのである。

長幼の序・・・年少者は年長者を敬い、したがわなければならない。
        何しろ、長く生きているということは、そのことだけで尊い。年長者を敬うのは当然である。
朋友の信・・・友はたがいに信頼の情で結ばれなくてはならない。
        「朋」とは学びを同じくするもの。「友」とは志を同じくするもの。そこには、信頼がないと朋友にはなり得ない。

長幼の序、人間関係の基本の一つ。美しくありたいものだ。

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高原 要次

「いまやらねばいつできる (平櫛田中)」

2023年9月1日 金曜日

  30年ほど前、岡山に住む学生時代の友人の案内で井原市の「平櫛田中美術館」を訪ねた。その時、ある言葉が目に入り、その色紙を買って今自室に飾っている。「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」という額である。平櫛田中は、日本を代表する彫刻家の一人で、107歳まで生きた。
  「人間は思ったら直ちに実行せねばいけない。考えただけではやったことにもならず、消えてしまうものである。『いまやらねば、いつできる』である。そして、『わしがやらねばたれがやる』と自分で覚悟すること。これが人間の努力を確実にするものである。」と田中は語っている。
  松下幸之助がある縁で平櫛田中に会った、その時に「松下さん、六十、七十ははなたれ小僧、男ざかりは百からですよ」と言われたそうだ。松下は語っている。
  『お目にかかったときに、ずいぶん気持ちの若い人だということは感じていたものの、百歳を越えてなお五十年分の木彫用木材を積んで制作意欲を持ち続けておられるということからすると、「男ざかりは百歳から」と言われたのも、口先だけのことではない。やはりほんとうに自分の芸術を完成させるには、あと五十年は木を彫り続けなければならないという執念とも言える強い思いを持っておられるのだ』。自分より二十二歳も年上の平櫛さんが、今なおみずからの仕事に旺盛に取り組む姿勢に感動し、大きな励ましを受けたのです。考えてみれば、百歳を越えてもあれだけお元気で若々しかったのは、常に夢や目標を持ち、それに向かって『今やらねばいつできる。おれがやらねばだれがやる』と、今という一瞬を精いっぱい生きておられたからだという気がする」と。

人間いたずらに多事、人生いたずらに年をとる、いまやらねばいつできる、わしがやらねばたれがやる・・・。

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高原 要次

「木村摂津守喜毅」

2023年8月1日 火曜日

  木村摂津守喜毅(よしたけ)は、幕末期の幕臣。目付、軍艦奉行等幕府の要職を歴任し、とくに幕府海軍の建設に尽力し、軍艦奉行となった人物である。
幕府は、元延元年(1860年)日米修好通商条約批准のため米国に使節を派遣するのだが、この時正使を乗せたポーハタン号とは別に、護衛する役目と乗組員の航海練習を目的として「咸臨丸」が派遣される。遣米使節副使として木村喜毅が咸臨丸の司令官となり、その下に艦長として勝海舟がおり、従者として福沢諭吉、通訳として中浜万次郎が乗船している。
  木村喜毅は、この「咸臨丸」の航海に際して、航海の道案内と米国側との連絡のため、海軍大尉ジョン・ブルックを始めとする米国の軍人の乗艦を幕府に要請し、反対する日本人乗組員を説得して認めさせた。また、乗組員たちの手当てを幕府に要求したが容れられず、自分の書画骨董を処分して3千両(約2億円)もの大金を咸臨丸に積み込み、全員に報奨金や服装・土産代に分配して残らず使い切った。
  サンフランシスコに到着した木村善毅ら一行は市民の大歓迎を受けた。市長主催の歓迎会に出席した木村は、席上での乾杯の際に“今、日本の皇帝のために乾杯していただいたが、その名前がアメリカ大統領の前にあった。こんどは大統領の名前を先に、アメリカ大統領と日本の皇帝のために乾杯していただきたい“と言って、米国人を感嘆させた。サンフランシスコの市民は、木村喜毅とその一行の姿と所作に美しさと尊敬の念を抱いた。 
  地元紙は木村について以下のように評した。「彼は一見しただけで温厚仁慈の風采を備えた人物で、四十前後と見受けられた。やがて彼は紳士的な服装で謙恭な態度で現れた」 (デイリー・アルタ・カリフォルニア紙)、 「頭上より足の指先に至るまで、貴人の相貌あり」 (ブレッディン紙)
 「咸臨丸」から、163年が経った。世界の中で、「日本」が「日本人」が問われている。世界から尊敬される日本国でありたい、そして尊厳ある日本人でありたい。究極的には、その人の「立ち居振る舞い」であり、それはその人の精神性ではなかろうか・・・。 

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