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「全国戦没者追悼式」

2026年9月1日 火曜日

   8月15日、日本武道館での「全国戦没者追悼式」に参列した。天皇、皇后両陛下のほか高市早苗首相や三権の長、政府要人、遺族ら4180人が参列した。まさに、日本人として凛とした厳粛な式典だった。

 天皇陛下のお言葉は、
「戦没者を追悼し、平和を祈念する日」に当たり、先の大戦でかけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにします。そして、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを願い、戦地に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」と。

 高市首相の式辞は、
今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者の皆さまの尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは決して忘れません。改めて敬意と感謝の誠をささげます。今を生きる世代も、未来を生きる世代も、希望を持てる日本を、安全で安心して暮らせる社会を、創り上げて参ります。と。

  天皇陛下のお言葉、高市首相の式辞にも、戦没者に敬意と感謝を示し、追悼の意が伝わってくる。しかし、戦後81年を経過した今、多くが戦後生まれとなった一般の日本国民に果たして戦没者を敬う心が存在しているのだろうか?日本赤十字社の調査によれば、25.8%の人が先の戦争が終わった日を「知らない」と答えている。(因みに、原爆が落とされた日を知らないと答えた人も25%)4人に一人が「8月15日」を知らないのである。

  今年起きた「令和8年熊本地震」の死者は39人、東北大震災の死者は19,000人、第二次世界大戦の死者は310万人である。死者の数字だけみても、先の戦争がいかに悲惨なものであったか、また国家としていかにおおきな犠牲と痛手を負ったかがわかる。そして、家族や国を守るために戦地に赴き、日本の良き未来を願って死んでいった先人たちに、手を合わせ敬うのは国民として当然のことではないだろうか。

  英国の歴史家アーノルド・トインビーは、「モラルを失くした民族は亡ぶ」と言っている。先人を敬うこともせず、“今だけ、金だけ、自分だけ”が闊歩する日本国が滅亡するのではないかと、危機感を憶える・・・。

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 高原 要次

「草木国土悉皆成仏」

2026年8月1日 土曜日

 インドの大乗仏教では、成仏できるのは「有情」あるいは「衆生」と呼ばれる「心を持った生き物」、すなわち人間と動物に限るとされていた。それが中国の三論宗や華厳宗において、「草木成仏」という思想が生まれて、植物も成仏できると考えられるようになった。さらに日本に入ると、「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という形で、無機物である「国土」までもが成仏できるのだと説かれるようになった。

 日本では古くから、山や森や岩や川などの自然に霊性を感じる信仰が強くあり、自然そのものを「神」として崇めていた。渡来した仏教は、こうした在来の自然信仰と結びついて、人も動物も、草も木も石も、国そのものも、実は命があり仏性を持ち成仏できる、とした。

 わが国では、古代より「米」は神様とともに作っている。神人共作である。私も現在、山間部で「米つくり」を行っている。5月下旬に田植えをして、9月中旬に稲刈りである。7月下旬に花が咲き稲穂が実ってくる。稲穂が実り始めるこの時期になると、イノシシが田圃に侵入してくる。まだミルク状の籾が好物で、これを食い散らす。また、畔に潜むミミズを漁り、畔を壊す。

 炎天下、鉄柵を設け、網を張り、薬剤を撒いてイノシシ対策を施すのであるが、イノシシは実に巧妙で学習能力が高く、知恵比べである。最終的に落ち着いたのは「電気柵」。田圃の周囲を電気柵で囲み、侵入を防ぐ。これが最も有効である。

 炎天下で電気柵の設置を行いながら、イノシシを害獣として駆除したい、何とかならぬかと思う。
しかし、「草木国土悉皆成仏」、自然界すべてに仏が潜む、人もイノシシも稲も命あるもの、自ずと然りで共生できぬものかと、思案する・・・。

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 高原 要次

「田の神様とお稲荷様」

2026年7月1日 水曜日

 日本全国に、「田の神(たのかみ)様」を祀る風習がある。田圃の一角や、村の街道の入り口に「田の神様」の像が見られる。石造、祠、土盛りなど形は様々だが、大きくは神像系、仏像系、農民系に分けられる。「田の神様」は、文字通り田圃を見守って豊作をもたらす農耕の神様である。 

 海外からの留学生が日本全国を旅し、田園風景を観て、日本のどの地域に行っても田圃は美しい。どうしてこんなに綺麗にしているのだろう、と驚くそうである。タイやベトナム等東南アジアの稲作の国からの留学生は、自国にも田圃が多いがこれほど綺麗にしなくても米はできますよ、と言う。

 わが国では、古代より「米」は神様とともに作っている。収穫は「神様の恵み」であり「神様との一体化」である。そこで、神様に田圃に降りて来てもらわなければならない。ところが神様は綺麗な処にしか降りて来てくれないのである。従って、我々は水田の中の草を採り、畔草や土手の草を刈り、田圃を美しく保っているのである。
 
 我が家の庭の一角には、「お稲荷様」が祀られている。稲荷神社、稲荷神を祀る神社。京都にある伏見稲荷大社が神道上の稲荷神社の総本宮となっている。我が家の「お稲荷様」は、所謂「屋敷神」である。「お稲荷様」の使者が狐、狐の尻尾が稲穂に似ているから、という説がある。

 「米」つくりは「神人共作」、神様とともに作っている。田圃には「田の神様」が、庭には「お稲荷様」の祠がある。穀霊・地霊・祖霊を敬い、清き明き心で米つくりに励もう。

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 高原 要次

「元号昭和と吉田増蔵」

2026年6月1日 月曜日

  先般、福岡県みやこ町の「みやこ町歴史民俗博物館」に行った。「昭和100周年と吉田増蔵」特別展を観るためである。福岡県北東部、大分県に近いこの地を訪れるのは初めてであったが、この農村部に、幕末から明治初期に漢文を学ぶ多くの若者がいたことに驚いた。それは、村上仏山の「水哉園」をはじめ私塾が多数あり、ここに漢文化が花開いた。その若者の一人に吉田増蔵がいた。彼の父、兄ともに「水哉園」で学んだ。

  吉田増蔵は、慶応2年(1866年)みやこ町勝山で生まれ、「水哉園」で学んだ後明治16年(1883年)に上京、共立学校で英語を学んだ後、アメリカに渉る。帰国後、再び漢学の勉強を行い、中等教育検定試験に合格、明治34年(1901年)宮内省判任文官試験の合格し、宮内省御料局に勤務する。

  大正9年(1920年)、増蔵は宮内省図書寮の編集官となる。図書寮は、皇統譜・御料台帳や天皇・皇族などの実録、図書の保管出納などをつかさどった部局である。増蔵の上司である図書頭は、軍医で作家の森鴎外であった。鴎外の強い信頼と引き立てによって、増蔵はその後、大正天皇崩御に際しての、宮内大臣より新元号創案作成の内命を受けることになる。

  増蔵は、「神化」、「元化」、「昭和」など10案を作成した。別の5案(宮内省御用掛の国府種徳案)とともに、枢密院会議に諮られ、増蔵案の一つ「昭和」が新元号に決定した。

  「昭和」は書経の一文「百姓昭明 共和万邦」からとったもので、「全ての人民は明るく、全ての国は和やかに」の意味であった。
 
  地方から出てきた漢学に長けた一官僚が、「昭和」という元号の創案者であるとは、大きな驚きであった。

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 高原 要次

「目に青葉、山ホトトギス、初鰹」

2026年5月1日 金曜日

 桜が咲き、石楠花・躑躅と続き、今シャガが可憐な花を見せている。まさに、春爛漫。そして、新緑が芽吹き初夏へと向かう。四季折々の作品であり、自然の摂理である。

 ”目に青葉、山ホトトギス、初鰹” 江戸時代の俳人、山口素堂の句であるが、初夏の喜びを素直に簡潔に述べた句である。目に青葉・・・目に映るのは萌えるような木々の若葉。山ホトトギス・・・山から、透き通ったホトトギスの鳴き声が聞こえてくる。初鰹・・・旬を迎えた初物の登りカツオに舌鼓を打つ。活き活きとしたこの時期に、まさに三つの贅沢。

 古代中国の人々は、満天の星を観ながら「天には膨大は数の星があるのに、なぜ衝突しないのか?」、「ここには何らかの法則とリズムがあるに違いない!」と思った。春秋戦国時代(紀元前770年頃から前221年まで)、500年以上戦争が続いているが、人間社会にもこのような法則とリズムをあれば、落ち着いた世になるに違いない。この「秩序」が欲しい、と思った。

 春夏秋冬、季節は回り、春になると若葉が萌え、種子は芽を出す。鳥や動物は卵や子を産み新しい命を育む。天地自然のはたらきによって万物が次々と生まれ(生生)、変化しながら成長・発展していく(化育)。「生生化育」。

 「道徳」とは、一般的には倫理観や規範として用いられるが、本来的に意味するところは「秩序」と「創造」である。
“目に青葉、山ホトトギス、初鰹”、天地自然の働きへの感謝と喜び、「生生化育」の理、有難し有難し。

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 高原 要次

「小学生への贈り物」

2026年4月1日 水曜日

 10年来、小学生の登校時に一緒に歩き、横断歩道で安全誘導をしている。一人ひとりの顔と名前を覚え、この子どもたちと顔を合わせるのが楽しみだ。
ニコニコしながら走って駆け寄ってくる子どもたちに、「行ってらっしゃい」とハイタッチすると、ほのかな嬉しさが沸き上がる。

 子どもたちの中に、4人の6年生がいる。卒業式の前日に、6年生の一人「心海(ここみ)」ちゃんから、プレゼントをもらった。
遠くから走ってきて、ペコリと頭を下げ、「ありがとうございました」と言って、私に紙袋を手渡した。その中に、彼女が描いた“絵”が入っていた。嬉しい・・・!

 この「心海」ちゃんはじめ4人の6年生に、本をプレゼントした。「21世紀に生きる君たちへ」(司馬遼太郎)だ。
「司馬遼太郎が子どもたちに書き残した歴史から学んだ人間の生き方の基本」と紹介されている本で、「人間の荘厳さ」、「21世紀に生きる君たちへ」、「洪庵のたいまつ」の三編で構成されている。
いずれも小学国語教科書に収められている内容だ。ほんの20ページほどの小冊子だが、これをドナルド・キーンが英語に翻訳し、並べて英文が記載されている。

 冒頭に、こう記されている。「人間は、鎖の一環ですね。はるかな過去から未来にのびてゆく鎖の。・・・・・人間のすばらしさは、自分のことを、たかが一環かとは悲観的に思わないことです。荘厳なものです。「21世紀に生きる君たちへ」は、そうゆう荘厳さを感じつつ書いたのです。と。

 先人には、次の社会を今より少し良いものにする義務がある。それを担うのが次世代を生きる子どもたちである。我々には、彼らに良い影響を与える義務がある!

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「靖国神社」

2026年3月1日 日曜日

  高市早苗総理になり、彼女が靖国神社に参拝するか否かをマスメディアは大きく書き立てる。総理大臣が、その国に殉じた人を敬い、参拝するのは当然であろうと思うのであるが、基本から逸脱した問題に考慮せざるを得ず、ことは簡単には運ばない。

 そもそも「靖国神社」は、戊辰戦争の死者を弔うために、大村益次郎(村田蔵六)の提案で創設された「東京招魂社」がはじまりである。戊辰戦争での戦死は、それまでの「藩」「藩主」のための戦死ではなく、新しく誕生しようとしている新国家のための戦死であった。新国家が「公」であるためには、戊辰戦争の戦死者を「公死」とする必要があり、招魂社ができたのは、そのような事情からであった。招魂社は、日本における近代国家の出発点だったと言える。以来、西南戦争、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争に至るすべての戦没者、246万6532柱の英霊が祀られている。

 国のために亡くなった先人を敬い、その施設である「靖国神社」を総理大臣が参拝することを、なぜ問題にするのか。おおきくは3つ。

 1.A級戦犯が祀られている

 2.アジアの国々の気持ちを踏みにじる

 3.政教分離に反する

1. A級戦犯が祀られている                                          
古来、国家としての戦争は違法ではない。戦争は合法である。国家の最終的な政治意志の表現手段として認められているものであって犯罪ではない。ただ、合法であるとはいえ、「何でもやってよい」か、というと断じてそうではない。あくまで、戦争を行う上にもルールが存在する。それが戦時国際法規である。大東亜戦争の後に開かれた極東軍事裁判(東京裁判)で「A級戦犯」として訴追された人々は、戦時国際法規に接触する行為を行った者は皆無である。                                            
そもそも、戦勝国が戦敗国を裁くという裁判は、国際法上ありえない。

2. アジアの国々の気持ちを踏みにじる                                    
アジアの国々というが、首相の靖国参拝を非難しているのは中国、韓国、北朝鮮のみである。他のアジア諸国は、異議を唱えていない。そもそも、日本が戦った中国軍は蒋介石率いる国民党であり、いまの台湾(中華民国)である。また、韓国・北朝鮮は大東亜戦争時は日本領であり、朝鮮人将兵は日本の軍人として一緒に戦っている。                     
どうも間尺に合わない。

3. 政教分離に反する                                              
宗教とは、①教祖がいる② 経典がある ③教団がある、という3つの要素が必要であるが、その観点からいえば、日本の神社は宗教ではない。その源泉は、自然を畏敬する神信仰であり伝統精神文化である。日本人が、より日本人らしく生きようとすれば、神事はかかせないし、高市総理も正月には伊勢神宮に参拝した。

 これら3つは、いずれも総理大臣の靖国神社参拝に反対する理由にはならない。むしろ総理大臣が、この国に殉じた先人を敬い、祀ることは国のリーダーとしての責務である。

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 高原 要次

「小学、大学、中学」

2026年2月1日 日曜日

  日本の学校教育は、初等教育、中等教育、高等教育の3段階に分類される。初等教育は「小学校」で、 修業年限は6年間。中等教育は、「中学校」が3年間、「高等学校」が3年間、そして高等教育が「大学」の4年間。つまり、初等教育を行う学校が「小学校」、中等教育を行う学校が「中学校」と「高等学校」、高等教育を行う所が「大学」である。

  毎年1月に「成人式」が行われる。物理的に、20歳になったので「成人」という意味での成人式であろうが、もう一つの大きな意味は「人と成る」、立派な人間になることなのである。20年間食をはめば体は成人になる、しかし「人と成る」にはその人に努力が必要なのである。

 「人と成る」ための学問には三つある。一つは「小学」。小学とは小人(しょうじん)の学、つまり普通一般の人が学んでおくべき基本的なことを学ぶ学問であり、「修己修身」の学である。二つ目は「大学」、大人(だいじん)の学である。大人とは他によい影響を及ぼすような人物である。その心得を学ぶ学問が「大学」であり、その内容は「修己治人」の学である。三つ目は「中学」、中人(ちゅうじん)の学である。「中」には二つの意味があり、一つは「結ぶ」、同質のものを結ぶ「混合」と異質のもの結ぶ「化合」。もう一つは「当たる」、よいところに当たる「的中」とよい時にあたる「時中」。「中学」とは調和の学であり、造化の学であり、人の上に立つ者のわきまえである。                    

 江戸期、子どもたちは幼少の頃から論語や大学を諳んじ、6歳で藩校や寺子屋に入ると古典の素読を行った。読み書き算盤の実学と、人格教育が江戸期の教育だったのである。現在は、それぞれの段階に応じて学校教育が行われているが、それは知識教育であり、試験に通るための教育になっている。果たして、これで立派な人間ができるのであろうか・・・?

 「天の命じるこれを性と謂う。性に率うこれを道と謂う。道を脩めるこれを教えという<中庸>」本来、教えとは人としての道(道理)を教えることなのである。

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 高原 要次

「遺族会」

2025年12月1日 月曜日

  この度、地元筑紫野市の「遺族会」の会長職を引き受けることになった。          
  1947年(昭和22年)、大東亜戦争戦没者遺族の全国組織として「日本遺族会」(当時は日本遺族厚生連盟)が創設され、市町村にも独立した遺族会が設立された。各都道府県には市町村遺族会の連合体としての遺族会が存在する。その目的は、戦没者の英霊顕彰と、遺族の福祉の増進、慰藉救済と、道義の昂揚、品性の涵養に努め、世界の恒久平和の確立に寄与する。と記されている。

  この大東亜戦争での死者は、戦死者数230万人、市民の死者数80万人、計310万人である。    
日本国全体としてはこの数字であるが、それぞれの家においては、家長である夫や父親が戦死し、妻や子供たちが、大きな悲しみに打ちひしがれたことは想像に難くない。
また、敗戦後に始まった連合国(GHQ)の支配によって、軍人恩給制度は軍国主義を助長するものとみなされ、打ち切られることになった。戦争未亡人など多くに遺族の生活は逼迫し、苦境に陥った。                                                        
このような状況下で遺族どうしが結束することで、苦境を乗り越えていこうという機運が高まり、各地方に遺族団体が設立され、全国組織として日本遺族厚生連盟が結成された。   
    
  私の父(高原萬寿夫)は、昭和18年久留米の第56部隊に入営し、満州・支那と転戦し、昭和21年生きて呉軍港に帰還した。私の叔父(高原萬治)は、昭和14年に入営、南方戦線(ビルマ)に派遣され、「龍」部隊で戦って、昭和19年9月7日中華民国雲南省垃孟で戦死した。26歳・・・。   
長男をビルマ戦線で亡くした祖母は、この長男のことや戦争のことを語ろうとしなかった。

  この戦争から80年が経過した。戦争未亡人や遺児たちは高齢になり、その子どもや孫の代に変わってきた。子や孫たちと、戦没者・遺族との距離は遠くなり、遺族会から脱会する人たちが増えている。                                                     
戦死した肉親は勿論、「この国の良き未来」を願って死んでいった先人を、国民全体がしっかりと敬う矜持が求められる。そして、今の日本に生きる我々が、「これからの日本をどうするか」を真剣に考える必要がある、と強く思う。

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「思い描いた夢は必ず実現する(稲盛和夫)」

2025年11月1日 土曜日

  京セラの創業者で、KDDIや日本航空の経営者だった稲盛和夫氏は「経営の神様」と言われ、集約された多くの言葉がある。例えば「この世を生きている意味とは、自分の魂を磨いていくことだ」、「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」、「動機善なりや、私心なかりしか」、「困難は愛が形を変えたもの」、「環境が変わったら自分を変えよ」等々・・・。

  その中に、「思い描いた夢は必ず実現する」というのがある。この言葉を聞いたときに、私は思った。信じて頑張ることは大切だが、その夢を実現する段階においては、種々の困難や予期せぬトラブル、環境の変化があるだろうし、“必ず”実現する、とは言い切れないのではないかと。

  氏の出身大学「鹿児島大学」の稲盛記念会館前に銅像が建てられている、その碑文に「どんな逆境に遭遇しようとも/どれほど厳しい環境におかれようとも/挫けることなく/常に明るい希望を持ち/地道な努力を一歩一歩たゆまず続けていくならば/自分の思い描いた夢は/必ず実現する」と刻まれている。

  「思い描いた夢は必ず実現する」の前提があったのです。それは、どんなに厳しい環境であっても、挫けず明るい希望を持ち、地道な努力を続けていけば、というもの。そうすれば、その夢は“必ず”実現する、と。ただ漠然とした願望をボーッと思い、実現したらいいな~、では実現するはずがない。それと、この「思い」が重要なのです。

  彼の母校鹿児島玉龍高校で、氏は「君の思いは必ず実現する」というテーマで講演しており、その中で、「思い」について、こう語っている。                                    
  “「思う」ということが、人間のすべての行動の源、基本になっているのです。そのことは、二つの側面から捉えることができます。まず、我われが毎日の生活を送る中で抱く「思い」の集積されたものが、我われの人間性、人柄、人格を作り出しています。「自分だけよければいい」という、えげつない「思い」をずっと巡らせている人は、その「思い」と同じ、えげつない人間性、人柄、人格になっていきます。逆に思いやりに満ちた優しい「思い」を抱いている人は、知らず知らずのうちに、思いやりに溢れた人間性、人柄、人格になっていきます。
 さらに、「思い」はもう一つ大きな役割を持っています。それは、「思い」の集積されたものが、その人に合ったような環境をつくっていく、ということです。あるいは、「思い」の蓄積されたものが、その人の運命をつくっていると言っても過言ではありません。
 綺麗な美しい心で生きていく人は、素晴らしい人間性、人柄、人格になると同時に、その人の周囲にも、その人間性、人柄、人格に合ったような素晴らしい出来事が起こってきます。心に抱く「思い」というものは、それほど偉大な力を持っているのです。

  そうです、「思い描いた夢は、必ず実現する」のです。

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