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「児孫のために美田を買わず」

2025年5月1日 木曜日

  先般、西郷隆盛の六代後の子孫の方と食事をした。有能なビジネスマンであり、ビオラとチェロの演奏家でオーケストラの一員として全国を飛び回る多才で多用な方である。彼から「西郷家二十四日会」幹事という名刺をもらった。西郷隆盛が鹿児島の城山で亡くなった九月二十四日に因み、毎月二十四日に西郷家一族が集うそうである。時折、島津家当主もご参加とのこと。

  「児孫のために美田を買わず」。これは西郷隆盛の遺訓として最も有名なものの一つである。西郷は言う、“人間というものは苦しい経験を何度も味わってこそ、志が堅くなる。男たるものは、瓦となって長生きするよりも、玉となって砕けるべきだ。そういう時がある。私の家の家訓を知っているか?子孫のために絶対に美田を買わない。つまり、財産は残さないというのがそれだ”と。

  これには二つの意味があるように思う。一つは、人間は何度も苦しまなければだめだ、大きな苦難があってこそ、その志が強固になる、という意味。これは、西郷が二回の島流し(奄美大島、徳之島・沖永良部島)にあったこと。島津斉彬のための京都工作をしたが失敗し、同志であった月照と一緒に鹿児島に逃げて、しかも海の中に飛び込み自分は助かり、月照を死なせてしまったこと等、自身の経験からきている。
もう一つの意味は、裕福な環境でのうのうと育ったのでは、自己の人生を切り拓こうとせず主体的に生きようとなしない。まして、人間の心の機微がわからず、私利私欲に走り、志など到底持てない。と

  親として、わが子に幸せになって欲しいと思うのは当然である。特に母親は、その慈愛からわが子を慈しみ少しでも裕福な環境を残したいと思うであろう。しかし、父親は義愛である。しっかりとした社会性を身につけさせる。まして、リーダーとして育てるならば「児孫のために美田を買わず」、時として苦難を与え、「放勲欣明、文思安安」を目指させる!

「日本学生海外移住連盟(学移連)」

2025年4月1日 火曜日

  今年6月に2週間ブラジルに行く。今回が10回目のブラジル、訪問の目的は移住した友人・先輩に会うことである。最初にブラジルの地を踏んだのは1975年、日本学生海外移住連盟の第6次海外学生総合(第16次南米)実習調査団の一員としてだった。

  当時、「日本学生海外移住連盟」(略称・学移連)という全国56大学が加盟して移住に取り組んだ団体が存在した。1955年に設立され、海外移住の啓蒙・移住推進に力を注いだ。1997年に閉鎖するまでブラジル・アルゼンチン等中南米、カナダなどに実習生を送り出し、OBもブラジルを始め世界各国に移住している。

 設立趣意書には「日本の海外への発展とその維持とは単に国内問題として取り扱われるべきではなく、国際視野のもとに世界人類、特に次の世代を担う学生の連繋協力によって解決しなければならない。―中略―新しい日本建設に当たり我々は斯くの如き視野に立ちつつ海外問題の研究とその解決とに努力し,且つ国際友愛精神による国際的寄与への第一歩を強く踏み出さんと欲するものであります。―中略―然るに海外移住に関する研究と推進とに関し、次の世代を背負う若き学生間に於いて、従来その全国的提携、協力が極めて欠ける点の多かったことに鑑み、茲に各大学有志の賛成を得て世界平和を祈念しつつ、日本学生海外移住連盟を設立せんとするものであります」とある。

  東京農業大学の杉野忠雄教授の「拓殖史観」を思想的なバックボーンとして、自己の「海外雄飛」というロマンを重ね合わせ、気概をもって移住していった。更には、グローバル・シティズンの先駆けとして、世界平和を希求する一員として海を渡った。

  ブラジルでは、ある者はサンパウロ近郊で野菜つくりや花卉栽培を。また、ある者はアマゾン河中流域で熱帯雨林を切り倒し、胡椒(ピメンタ)栽培を行った。皆、筆述しがたい苦労をしてきた。

  “朋友信あり”、ブラジルの友も歳をとった。早く会いにゆかねば・・・。

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「志とは・・・」

2025年3月1日 土曜日

  母校の小学校から児童への「読み聞かせ」の依頼があり、引き受けた。さて、何を伝えようか、どの本にしようかと考えて、2冊を選んだ。

  ・「21世紀に生きる君たちへ」(司馬遼太郎)

  ・「未来を拓く君たちへ」(田坂広志)

  いずれも著者の心の底から湧き上がる若者たちへの期待と希望のメッセージである。先人には、次の世代を少しでも良くする責任があり、そのために生きてきて、最後に次の社会を担う若者たちに託す言葉を残す。それが、これらである。

  「21世紀に生きる君たちへ」(司馬遼太郎)は、人間の荘厳さ、21世紀に生きる君たちへ、洪庵のたいまつ、の3編でできている。人間は、はるかな過去から未来にのびていく鎖の一環である。そうではあるが、一人ひとりの人間はただその一瞬を経験するとき、過去や現在の誰とも無関係な真新の自分だけの心の充実だと思っており、実に荘厳である。と。また人間は自然の中で生きており、歴史の中の人々は自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。近年、人間は傲慢になり、自然へのおそれが薄くなってはいないか・・・。と。

  「未来を拓く君たちへ」(田坂広志)のメッセージは、君たちは2つの未来を切り拓いて行く、一つは「自身の未来」、もう一つは人類の未来。自身の未来を切り拓いていくことによって、人類の未来を切り拓くことになる。決して忘れてはならないのが「志」を抱いて生きる、ということである。「志」とは何か。与えられた人生において、己のためだけではなく、多くの人々のために、そして、世の中のために、大切な何かを成し遂げようとの決意。である、と。そして結びの言葉は、“人間成長という山道を登り続けてほしい。その道は、かならず、素晴らしい山の頂に続いている。そして、君は、かならず、その山の頂にたどり着くだろう。”である。

  この「未来を拓く君たちへ」を「読み聞かせ」しようと思ったのだが、私が手にした本は「世界の国大百科」だった。“世界197ヵ国の中で、日本が最も好きだという人が一番多い国が2つある”、“トルコとブラジル・・・、なぜそうなのか?それはね・・・”だった。
  

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「伝承依頼」

2025年2月1日 土曜日

  私が師事する東洋思想の第一人者田口佳史氏から「伝承依頼」というレターが届いた。この度、「東洋思想指導者養成塾」を開塾する。ついては、第一期生として指名するので、入塾し修行し、次世代に伝承するように、とのこと。

  氏の思いは「日本らしい日本、日本人らしい日本人を養成し、日本の特性と美点を国内はもとより、広く世界に主張すること」。そして、この「東洋思想指導者養成塾」の目的は、『我が国日本の根源である「明浄正直」を復活させ、「一燈照隅 万燈照国」を通じ、将来世代に広く確かに紡いで行くため、東洋思想哲学の指導者を養成・育成する。とある。

  田口佳史氏は現在82歳、自身の年齢と日本の現状を考えると、その危機感が迫ってきて、居ても立ってもおられず、この国をよくするために自分の代弁者・伝承者・伝道者をつくり、その輪を広げていく。横への展開、縦への継承で、この国を“日本らしい(伝統精神文化)日本に”作り直し、規範形成教育を行うための指導者を養成しようというものである。

  田口先生から第一期生指名17名の中の一人に選ばれるとは、光栄のいたりであるが、少々荷が重い・・・。されど、その意義その意味を思うと、しっかりと覚悟を以て務めようと。

  結びの言葉は                                             
  「一隅を照らす燈を集めて膨大な力とし、必ず良い世の中へと転換できるよう歩む。「明浄正直」を取り戻した日本発のその燈が、やがて世界中を明るくすることを願いつつ。
  である。    

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「人は考えた通りの人間になる」

2025年1月6日 月曜日

   1902年に出版されたジェームズ・アレンの「As a Man Thinketh」は、世界で聖書の次に読まれている書籍だそうだ。本のタイトルは「人は考えたとおりの人間になる」だが、日本語版では「原因と結果の法則」として広まっている。この著書の基本的な仮定は「気高い思いは気高い人を作り、低俗な思いは惨めな人を作る」である。
  アレンは、よきにつけ悪きにつけ心の中の「思い」が原因となり、環境や健康と病気、成功や失敗、富や貧困、喜びや悲しみといった結果をもたらすとしている。また、成功するには、気高い夢を見て目標をもち、単に成功したいと思うだけではなく、欲望を犠牲にし「自分はそれを達成できる」という信念をもって努力をしなければならないとしている。項目ごとに彼が述べている内容を記すと

思いと人格
「私たちの人生は、ある確かな法則にしたがって創られています。私たちがどんな策略をもちいようと、その法則を変えることはできません」 

思いと環境
「自分の心をしっかりと管理し、人格の向上に努めている人たちは、“環境は思いから生まれるものである”ということを熟知しています」

思いと健康
「きれいな思いは、きれいな習慣を創りだします。自分の心を洗わない聖者は、聖者ではありません」 

思いと目標
「人間を目標に向かわせるパワーは、“自分はそれを達成できる”という信念から生まれます。疑いや恐れは、その信念にとって最大の敵です」

思いと成功
「人間は、もし成功をめざすならば、自分の欲望のかなりの部分を犠牲にしなくてはならないのです」

ビジョン
「気高い夢を見ることです。あなたは、あなたが夢見た人間になるでしょう。あなたの理想は、あなたの未来を予言するものにほかなりません」

穏やかな心
「穏やかな心は、真実の海のなか……水面から遠く離れた、いかなる嵐の影響もおよばない永遠の静寂のなか……に住んでいます」

そうです、「人は考えた通りの人間になる」のです。

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「性善説と性悪説」

2024年12月1日 日曜日

 現代の日本では、性善説は「人はみな善人である」という楽観主義、性悪説は「人はみな悪人である」という悲観主義、といった意味合いで広く使われる。しかし本来は、楽観主義や悲観主義ではなく、どちらも「教育の重要性」を主張するための説だった。
 孟子が唱えた性善説は、あらゆる人に「善の兆し」が先天的に備わっているとする説である。善の兆しとは、惻隠(憐れみの心)、羞悪(不正を恥じる心)、辞譲(謙譲の心)、是非(善悪を分別する心)であり、これを四端の心という。修練により四端は「仁・義・礼・智」という徳として具現化し、聖人・君子たることができる。それゆえ教育が重要である、という説だった。
 一方荀子が唱えた性悪説は、「性」を欲望を含んだものとして捉え、自然そのままの人の本性は「悪」であるとした。欲望を保有する人間には自己を制御する力は無く、外在する「礼」すなわち学修によって人を矯正・感化する必要があるのだと説いた。それ故に教育が重要である、と。
 さらに、礼ぐらいでは治まらないとしたのが韓非子などで、そこから「法による制御」刑罰主義へと向うのである。
 性善説が正しいのか、性悪説が正しいのか、を問うわけではないが、いずれにしろ教育によって、あるいは修練によってその人格を磨くのは、人としての哲理である。

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「敬天愛人」

2024年11月1日 金曜日

 旧庄内藩の藩主であった酒井忠篤とその家臣たちによって編纂・発行された『西郷南洲翁遺訓』という本がある。なぜ、薩摩から遠く離れた奥羽庄内藩の殿様と家臣が、このような書物を編纂したのであろうか。事の経緯は、以下の通り。
 幕末、徳川幕府から江戸市中見回りの命を受けていた庄内藩は慶応三(1867)年、「テロの巣窟」である薩摩藩邸を焼き討ちにする。この件で薩摩藩では浪士を入れて64名が命を落とした。
 明治元(1868)年、戊辰戦争で幕府方の庄内藩は薩摩藩を中心とした新政府軍を迎え撃ち、善戦の末降伏した。焼き討ちの遺恨により庄内藩主と重臣たちは切腹を覚悟した。しかし、参謀の黒田清隆は庄内藩主に礼儀を尽くし、家臣たちにも寛大な処遇をした。後に、この処遇は西郷隆盛の指示によるものであることが判明した。
 感激した藩主の酒井忠篤は西郷隆盛に親書を送り、明治三(1870)年には藩主以下70数名が鹿児島を訪れた。彼らは西郷から兵学を学び、幾度も西郷と接する機会を持った。そして折に触れ、西郷が語った言葉を帳面に書き写したり覚えたりした。この旧庄内藩士たちによる一連の聞き書きが、『西郷南洲翁遺訓』である。
  この『西郷南洲翁遺訓』は四十一条と追加の二条でできているが、その二十一条に「道は天地自然の道なるゆゑ、講學の道は“敬天愛人”を目的とし、身を修するに克己を持って終始せよ」とある。西郷は、この“敬天愛人”を座右の銘とし、自己修養のための指針として“天を敬い、その哲理に従い、自分を愛すると同様に他人を愛する”ように生きた。
 実業家の稲盛和夫は、「西郷南洲翁遺訓」にはリーダーのあるべき姿が語り尽くされていると語り、自身の人生、経営の指針として同書を紐解いていた。そして、自身が創業した京セラの社是を「敬天愛人」としている。
 「放勲欣明 文思安安」、「敬天愛人」、まさに西郷南洲である。

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「当たるも八卦、当たらぬも八卦」

2024年10月1日 火曜日

 「八卦」とは占いのこと、当っても当らなくても、それが占いというものであり、外れても気にするな、という意味合いで使われる。
 易占いは、世界でもっとも古い占いのひとつで、少なくとも3000年以上前の古代中国で生まれた占いであるが、そもそもは「易経」に由来し、古代中国の伝説上の人物、伏犠(ふくぎ)が編みだし、孔子(こうし)が完成させたといわれている。
 「占い」を、信憑性を遠く離れた予見ではなく、ある意味科学的に行おうとするのが「易占い」であり、この「占い」の知恵を体系化し、宇宙観まで昇華させたのが「易経」である。その根本は太極で「陽」と「陰」であり、その上に八卦(乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤)が展開されていく。
 「易経」は、この八卦と八卦を組み合わせた六十四卦(六十四種類の卦)について、述べられた書物であり、六十四種類の卦は、一つひとつが人生における場面設定のようなものである。六十四の場面ごとに、決まった起承転結の流れがあって、各段階には必ず前兆があり、その前兆を察知できれば、適切に変化へ対応できるということを、たとえ話で表現している。
 「時」は「陰と陽」の働きによって絶えず変化している、というのが『易経』の根本的な考え方で、「易の三義(変異、不易、易簡)」という。「変易」は、変化という意味で、この世のすべての物事、人も物も自然も、一瞬たりとも同じ時はなく、常に変化し続けている、ということ。
 「不易」は、変わらないという意味。すべての物事は変化するが、その変化の仕方には一定の「不変の法則」がある。たとえば、季節は移り変っていくが、冬が過ぎれば必ず春が来る、春が過ぎれば、夏が来て、秋が来て、また冬が来る。この四季の循環は変わらない。
 「易簡」は、やさしくて簡単という意味。「変易」「不易」の法則が理解できれば、何事も簡単にわかるようになり、悩みや問題も解決しやすくなる、ということ表している。
 そもそも社会は「陽」と「陰」でできており、絶対的自然律があり、そのことを理解し、それにそって、変化する状況に対応していけばよい、ということのようである。

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「中村天風」

2024年9月1日 日曜日

 私の私の書棚の一番上の一番右にあるのが「心に成功の炎を」という1万円以上する高価な本である。中村天風述とあり、彼の死から36年後に出版されたものである。中村天風は、思想家で講演家であり、ヨーガ行者であり、実業家でもある。そして、天風会を創始し心身統一法を広めた。中村天風の教えを学んだ人は、原敬、東郷平八郎、北村西望、宇野千代、松下幸之助、稲盛和夫等政界、実業界に多くあり、中村天風に大きな影響を受けた。
 中村天風の名言を、いくつか紹介すると
 ・人生は心一つの置きどころ。人間の心で行う思い方、考え方が人生の一切を良くも悪くもする。
 ・運命には二種類ある。どうにもしようのない運命を天命と言い、人間の力で打ち開くことのできるものを宿命と言う。
 ・二度と生まれることのできない人生の刹那刹那は、自分というものがいつも完全な主人公でなければならない。
 ・簡単に得たものは失い易い。
 ・どこまでもまず人間をつくれ。それから後が経営であり、あるいはまた事業である。
 ・鏡に曇りがあれば、物は完全に映らない。
 ・蒔いたとおり、花が咲く。
 ・暗かったら窓を開けろ。光がさしてくる。
 ・勇気というものは、人生を統一する一切の根本基礎なのだ。
 ・水源のない川はない。
 ・人生とは、自己の命に喜びをできるだけ多く味わわせるようにするところに、本当の生きがいがある。
 ・花の咲いている根元に、このきれいな花を咲かせる養分がある。
 ・今日は一日、怒らず、怖れず、悲しまず。
 ・歓喜の世界に悲哀はなく、感謝の世界に不満はない。

この中村天風の「心に成功の炎を」の本の左隣に、「安岡正篤活学選集」10巻がある。これもまた、私の研鑽のための書である。

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「穀霊、地霊、祖霊」

2024年8月1日 木曜日

  師事している田口佳史氏(東洋思想の大家)の講義で次のような話がありました。
東南アジアの留学生から、“日本の田圃は、どうしてこんなに美しいのですか?私の国でもコメを作っていますが、適当に植えていてもそれなりに収穫できますし、これほど田圃を綺麗にする必要はないのじゃないですか?”と質問を受けたそうです。これに対する田口先生の答えは“古代より日本では、米つくりは神さまと共に行っているのです。従って、田圃には「田の神さま」、社には「お稲荷さま」が祀ってある。神さまは、綺麗な所にしか降りてこないのです。だから、田圃を綺麗にして心を込めて作るのです”、と。
  田口先生からこの話を聞いて以来、私のコメ作りが変わりました。単なる農作業ではなく、神さまとの共作。田圃に神さまに来てもらうために、田の草取りも畔草刈りも頻繁にして、美しいものにしなければなりません。そして、一つひとつ丁寧に心を込めて。
  「田の神さま」は、3つの霊を宿しています。まずは文字通りの「穀霊」、農耕の神さま。次にこの土地に根づいている「地霊」。そして「祖霊」です。「祖霊」は、先祖代々ずっと耕しつづけてくれたからこそ、今の田圃が今の自分たちがあるという、感謝です。
  因みに伊勢神宮の内宮は祖霊の「天照大神」と地霊をお祀りし、外宮は穀霊である「豊受大神」を祀っている。

  我が家の一角に「お稲荷さま」があります。この神さまの語源は「稲成り」、稲が生育することであり、その象徴が狐であるのは、尻尾がたわわに実った稲穂に似てるからだそうです。

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