「遺族会」

  この度、地元筑紫野市の「遺族会」の会長職を引き受けることになった。          
  1947年(昭和22年)、大東亜戦争戦没者遺族の全国組織として「日本遺族会」(当時は日本遺族厚生連盟)が創設され、市町村にも独立した遺族会が設立された。各都道府県には市町村遺族会の連合体としての遺族会が存在する。その目的は、戦没者の英霊顕彰と、遺族の福祉の増進、慰藉救済と、道義の昂揚、品性の涵養に努め、世界の恒久平和の確立に寄与する。と記されている。

  この大東亜戦争での死者は、戦死者数230万人、市民の死者数80万人、計310万人である。    
日本国全体としてはこの数字であるが、それぞれの家においては、家長である夫や父親が戦死し、妻や子供たちが、大きな悲しみに打ちひしがれたことは想像に難くない。
また、敗戦後に始まった連合国(GHQ)の支配によって、軍人恩給制度は軍国主義を助長するものとみなされ、打ち切られることになった。戦争未亡人など多くに遺族の生活は逼迫し、苦境に陥った。                                                        
このような状況下で遺族どうしが結束することで、苦境を乗り越えていこうという機運が高まり、各地方に遺族団体が設立され、全国組織として日本遺族厚生連盟が結成された。   
    
  私の父(高原萬寿夫)は、昭和18年久留米の第56部隊に入営し、満州・支那と転戦し、昭和21年生きて呉軍港に帰還した。私の叔父(高原萬治)は、昭和14年に入営、南方戦線(ビルマ)に派遣され、「龍」部隊で戦って、昭和19年9月7日中華民国雲南省垃孟で戦死した。26歳・・・。   
長男をビルマ戦線で亡くした祖母は、この長男のことや戦争のことを語ろうとしなかった。

  この戦争から80年が経過した。戦争未亡人や遺児たちは高齢になり、その子どもや孫の代に変わってきた。子や孫たちと、戦没者・遺族との距離は遠くなり、遺族会から脱会する人たちが増えている。                                                     
戦死した肉親は勿論、「この国の良き未来」を願って死んでいった先人を、国民全体がしっかりと敬う矜持が求められる。そして、今の日本に生きる我々が、「これからの日本をどうするか」を真剣に考える必要がある、と強く思う。

ラーニング・システムズ
高原コンサルティングオフィス                                                
 高原 要次