「修身」

 かつて日本には、「修身」という教科が小学校(尋常小学校・国民学校)で教えられていた。明治23年(1890年)の教育勅語発布から、昭和20年(1945年)の敗戦までである。

 「修身」、そもそもは儒教の教典「大学」に由来し、「自天子以至庶民、壹是皆以脩身爲本(天子より以て庶人に至るまで、壱是に皆身を脩むるを以て本と為す)」とある。また明治初年、たまたま慶應義塾関係者小幡篤次郎が米国の書物「The Elements of Moral Science」(Francis Wayland編纂)と出会い、福沢諭吉とともにこれを「修身論」と翻訳している。

 「明治23年(1890年)、忠孝を核とする儒教主義道徳と近代市民道徳両面をあわせもった教育勅語が発布されたが、筆頭教科に位置づけられていたのが「修身科」であった。敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、国史・地理と並んで「修身」を軍国主義教育とみなし、授業を停止する覚書を出した。

 「修身」の教科書では25の徳目を扱っている

 ・家庭のしつけ ・親孝行 ・家族、家庭 ・勤労、努力 ・勉学、研究 ・創意、工夫 ・公益、奉仕 ・進取の気象 ・博愛、慈善 ・資質、

  倹約・責任、職分 ・友情 ・信義、誠実 ・師弟 ・反省 ・正直、至誠 ・克己、節制 ・謝恩 ・健康、養生 ・武士 ・愛国心 ・人物、

  人格 ・公衆道徳 ・国旗と国家 ・国際協調

 この修身、徐々に「尊王愛国ノ志気」、「忠良ナル臣民」、「皇国民」という方向に強調されて行き、それが軍国主義教育と判断されたのであるが、「徳目を学び」「身を脩める」という本来の意味では、時代や国、文化に縛られない普遍的な内容であり、十分に今も通用するように思う。

 教育には「知育」、「徳育」・「体育」の3つがあるが、敗戦後は一部道徳教育復活の機運はあるが、学校教育で「徳育」はなされていない。それを家庭で行っているかと言えば、それも否。そして「徳育」を施されていない生徒が成長し親となり、そのまた子供が今親になろうとしている。社会性に著しく欠けた言動が目立ち、家族や家庭においても驚愕する事件が頻発する、これが日本人かと疑いたくなる・・・。

 このような人種が政治家の中にも、経営者の中にも、教師にも散見されるが、実に残念である・・・。

 明治の日本人は、実に凜としていた。それは江戸期に「仁・義・礼・智・信」の五常を藩校や寺子屋で学び、規範としていたからではないだろうか。戦後の政治家、経営者も気骨のあるリーダーがいた、それは戦前の「修身」の賜物ではなかろうか。

 

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