「母の日、父の日、こどもの日」

 わが国では「母の日」が5月の第二日曜日、「父の日」が6月の第三日曜日、そして「こどもの日」が5月5日である。「こどもの日」は祝日で、「母の日」・「父の日」は祝日ではない。

「母の日」・「父の日」は、いずれもアメリカ生まれの記念日で、20世紀初頭から始まった母への、父への、感謝と敬愛の日である。「こどもの日」は、そもそもは「端午の節句」で奈良時代に中国からもたらされ、江戸期に男子が強く育つようにと願い、兜や鯉のぼりを飾って祝うようになった。そして現在は、この日を「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」休日、と定められている。母に感謝する、と定められているが、父はでてこない・・・。それほど、母への感謝が大きいということか。

 東洋思想家の田口佳史氏によれば、こどもは単に時間がたって大人になるのではなく、親や社会に育てられて大人になる。際立って重要なのが親であり、「母性」と「父性」で育てられる。「母性」は、情緒的・主観的な愛であり「慈愛」という。「父性」は、論理的・客観的な愛であり「義愛」という。幼少期(3才~6才)に「慈愛」が育って「惻隠の心」(困っている人を見て気の毒だと思う心)が生まれ、「義愛」が育って「羞悪の心」(自分の不善を恥じ他人の悪を憎む心)が生まれる。それに、二つの要素が加わる。「辞譲の心」(謙遜して他に譲る心)と「是非の心」(道理に基づき善し悪しを判断する心)である。以上の4つの要素を「四端」、四つの重大な端緒(事のはじまり、いとぐち、手がかり)という。とのことである。

 昭和の時代のパラダイムは、父親は外で働き母親が家を守る、であった。しかし、今は男女平等、男女雇用機会均等法、ワークライフバランス等で父親・母親の役割も変った。「イクメン」と言われる、妻の母親業を支え、ともに子育てに励む父親が増えてきた。それ自体は喜ばしいことであるが、父親が「母性」を施しているのではないだろうか、「父性」が足りない。また、近年中学校の卒業式に立ち会うことが多いが、校長や来賓の祝辞や挨拶には、優しさ、平等、平和、気遣い等の言葉が並び、鍛錬や気概、厳しさ、正しさ等の言葉はあまり聞かない。社会が「母性」化して「父性」が欠如しているのではないだろうか。

 父親が母性化する、社会が母性化するのは何故か。それは、父親自身が自己の鍛錬を怠る、気概がない、善悪を判断する根本を押さえていない、からかも知れない。社会が母性化するのは何故か。民主主義の名のもとに、個人個人が自己の幸せのみを追い求め、国を社会を良くするために“汨羅の淵に波騒ぎ”という屈原の気概がない・・・。

 

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高原コンサルティングオフィス

高原 要次