「神様の願い、仏様の願い」

 年が明けると、「初詣で」で神社や寺院に行くのが慣わしである。
そして、無病息災、家内安全、入学試験合格等を祈願する。忘年会と称して酒を飲んで、この1年を忘れ、初詣でで夫々の望みを神様や仏様にお願いする。
それはそれで結構なことである。しかし、その望みは総じて自己の欲望であり所謂我欲が多い。果たして、神様仏様は、その我欲を聞いて叶えてくれるであろうか・・・。

 そもそも「願い」とは、我々人間の神や仏への頼み事ではなく、神や仏の我々人間への「願い」なのである。
 神様、仏様の我々人間への「願い」とは“穏やかで楽しい人生を送ってくれ。そのために健全な社会をつくってくれ”ということらしい・・・。従って、神様・仏様に参るとは、自己の欲望実現のお願いをしに行くのではなく、神の願いに対して感謝しに行くのである。

 東洋思想の第一人者田口佳史氏によれば“儒教・仏教・道教・禅仏教・神道という東洋思想では何を言っているかというと「絶対的存在と対話しろ」というのです。「絶対的存在」とは、その教えによって「天」であったり「仏」であったり「神」であったりします。
その「願い」をしっかりとわきまえて、同行二人で人生を歩んで行け、と”(「現代のリベラルアーツとは何か ー よりよく生きるための知の力 ―」)。その「願い」に沿って生きるには、“智恵”と“慈悲”が必要、“足るを知る”ことが必要・・・。 
 私は、数年前から「初詣で」を止めた。そして、大晦日に、すぐ近くの神社と檀那寺に「お礼詣り」に行くことにした。心も穏やかに、人生も楽しくなってきたように思う。

 

ラーニング・システムズ
高原コンサルティングオフィス

高原 要次