2017年7月 「教養・・・」

 先般、親戚の大学生(関西の有名私立大学)に、「論語」を読んだことがあるかと問うたら、“論語って何ですか?”と言われ驚愕した。勿論、論語を読みその内容を理解している人は多いとは言えないが、「論語」という書物を知らないとは・・・。

 私が大学生の頃は、1年半の教養課程と2年半の専門課程に別れ、それぞれの課程で必修科目と選択科目があり、一定の単位を取らなければ修了できなかった。教養課程は学部を問わず、語学は勿論、自然科学や、文学、歴史、哲学等社会科学の様々な講義があった。その時思った、“教養”とは高校時代までの教科書の知識ではなく、その深さを前提としており、表層的なものではない、と。

 この“教養”、英語ではリベラル・アーツ(Liberal
Arts)という。直訳すれば「自由の技術」。自由な市民になるための技法なのか・・・。自由な市民であるとは、人に強制されず、自分自身の価値基準を持ち、その価値基準で人生を描いていく。そのための技法が“教養”なのである。

 江戸期の武家での教育や、寺子屋での教育は「論語」や「大学」を基本書物として学ぶ人間形成が行われていた。併せて読み書き算盤や剣術を教え、武士としての「ありよう」を築かせた。

 現在での大学生の“教養”、「論語」や「大学」が必修科目とは言わないが、最低限その書物の名前は、常識として知っておいて欲しい。更に、役に立つか立たないかを見分ける前に、彼らのこれからの人生の進路の選択肢を広げるために、深い学びを行い、教養を身に付けて欲しい。教養を身に付けて抽象度を上げて思考することができれば、すぐには役に立たなくても本質的なものが何であるかが理解できる。

 ビジネスマンの“教養”、それは「判断力」や「洞察力」に繋がる。判断するための基準、洞察するための基盤が“教養”である。知識をいくら集めても教養にはならない。行動や実践に落とし込めないような知識は、いくら積み重ねても実学へと発酵しないのである。頭の教養(IQ)だけではなく、心の教養(EQ)が必要である。

 自由な市民であるために、有能なビジネスマンであるために、“教養”を積みたい。

 

                                                                  ラーニング・システムズ株式会社

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