2015年9月 * 宝の思い出 *

 先月8月4日、「歌手の菅原やすのりさんが、急性骨髄性白血病で死去しました」というニュースが耳に入って来ました。目に浮かんだのは、ブラジルでご一緒した時の温かい笑顔と、力強くそして優しく包み込むような歌声、そして旅の楽しみ方を教えてもらったことです。

 歌手“菅原やすのり”に初めて会ったのは、今から16年前の1999年11月。

 日本人がアマゾンへ移住して70年の歴史を刻む記念すべき祭典に合わせ、世界を舞台に活躍する“菅原やすのり”さんが、『すがわらやすのり アマゾンに響け平和の歌』親善コンサートを開く事になった時、訪問団一行とご縁があり、渡伯しました。コンサート会場はブラジル北部にあるマナウスという都市と、同じくブラジル北部の日本人入植地としては最も歴史が古く、多くの日系人が住む町として知られるトメアスーの二ヶ所でした。

 “菅原やすのり”さんとは、コンサートだけではなく、コンサート開催日までの時間を関係者の方との食事会や、観光などでご一緒させていただきました。お土産屋がたくさん並ぶ中を菅原さんについて行くと、結構いろいろと買っていかれるのです。そしてそれを自分の首にかけたり、指輪をしたり、帽子を買った時はそれをかぶって歩きだします。とてもお似合いです。私たちにも「どうぞ」とプレゼントして下さいました。多くの外国を経験されてる有名人は、何を買うものはないものと思っていましたので、意外でした。「僕は家に持って帰るのではなく、旅を楽しむ為に、いつもこうやっているのですよ。そのほうが楽しいでしょう?!」この時以来、私も真似るようになりました。

 アマゾン川で捕られた魚が並ぶ「中央マーケット」を見物したり、そしてそのアマゾン川で一緒にピラニア釣りを楽しんだものですから、私も緊張がほぐれ、移動する機中で隣になった時は、菅原さんがいつも考えている事や、コンサート活動の話を、たくさん楽しく聞く事が出来ました。このブラジルでの滞在は、私の宝です。

 “菅原やすのり”氏は1945年生まれ。早稲田大学建築学科を卒業されていますが、学生時代からアメリカに渡り歌手活動を始められたようです。そして「世界の人々の心を歌で結んで平和な地球を作りたい」との願いで、ニューヨーク国連本部をはじめ、難民キャンプなど世界80ヶ国以上でコンサート開催されました。勿論日本国内でも「長崎の鐘平和コンサート」を初め、

たくさんの場所で歌い続けてこられました。1981年に文化庁芸術祭優秀賞を受けられています。

 

 今も観光地を訪れてお土産を買う機会があるときは、周りに差し上げるお土産とは別に、そこでしか手にいれる事ができない小物を最低1個買って、身に着けたり、すぐ使うようにしています。日本でも何回かコンサート会場に伺って挨拶させていただいたのに、もうあの歌声も直接聞く事が出来なくなりました。いらっしゃらないのが不思議です。

                                                                       (原口佳子)