2014年4月 “『吾唯知足』”

 母が亡くなって五年、来年は七回忌の法要である。彼女が好んだ菓子の一つに京都柳園の“つくばい”がある。母の喜ぶ顔が見たくて、大阪で仕事がある時は、大抵京都まで足を伸ばし、この菓子を買って帰った。この菓子には「吾唯知足」と刻まれている。一周忌、三回忌の法要では、この菓子を皆さんに配り、母を偲んでもらった。

 龍安寺の「知足の蹲踞(つくばい)」、水戸光圀(黄門さま)が、「大日本史」編纂に当たり、龍安寺から資料の提供をうけたお礼に寄贈したものらしい。この蹲踞に刻まれているのが「吾唯知足」。

遺教経に次のように記してある。

 「若し諸の苦悩を脱せんと欲せば、まさに知足を観ずべし。知足の法は即ち富楽安穏の処なり。知足の人は地上に臥すといえども、安なりとなす。不知足の者は富むといえども、しかも貧し。不知足の者は五欲のために牽かれて、知足の者のために憐憫せらる。是を知足と名づく」

 足る事を知る人は不平不満が無く、心豊かであることが出来る。足るを知ることは、欲望が制御され、煩悩妄想による迷いも消え、心清き態でおれる。逆に、足ることを知らぬ者は常に不満足の心が支配し、例え冨があったとしても、不平が多くその心は貧しい。と。

 確かに、もっと欲しい、もっといいものを、もっと豊かに、もっともっと・・・、が所謂ニーズとなり、社会を発展させる原動力になった。そして今、その“もっと、もっと”が豊かさをもたらし、物質的にはある程度満たされてきたように思う。

 しかし実は、心は満たされていない。年間自殺者が30,000人もおり、心を病む人も多い。「吾唯知足」、我々自身の生き方に大きく影響する禅の言葉である。その言葉は“感謝”であろうし、慈悲深かった母の教えかもしれない・・・。

 

                                                             ラーニング・システムズ株式会社

                                                              代表取締役社長 高原 要次

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               龍安寺 方丈庭園

             

                             知足の蹲踞