2013年10月 “「少しだけ、無理をして生きる」”

 城山三郎の本に「少しだけ、無理をして生きる」というのがある。政治家や経済人のエピソードを紹介しながら、その生き方を綴ったエッセイで、リーダーとは何か、人はどう生きていくべきかということを深く考えさせられる一冊である。特に渋沢栄一、浜口雄幸、広田弘毅のくだりは、示唆に富む。それがそのまま「雄気堂々」、「男子の本懐」、「落日燃ゆ」という小説に結実したように思う。

 渋沢栄一を語る中で、“人はその性格にあった事件にしか出会わない”というのがある。我々は、こんな事件があったから、こんな経験をしたから、このような性格が形成されたと考えるが、どうも真実はそうではなく、性格が事件に遭遇させるらしい。渋沢栄一は、子供でも大人でも、地位の高い人も低い人も、全身全霊で目の前の人の話をきいていた。この全身が受信機という性格が、彼にいろんな事件に出会わせ、経験させたらしい。

 広田弘毅の生き方は「自ら計らわず」。自分の利益になるようなことを求めない。人のためには尽くすが、自らのためには計らわない。それは、外務省でも、総理大臣の時でも、そして東京裁判でも貫かれる。貫いたがゆえに民間人でただ一人A級戦犯になるのであるが、実に美しい見事な生き方ある。

 石屋の息子であった広田弘毅が小学生の頃、「天満宮」と揮毫した鳥居が福岡市天神の水鏡天満宮にある。見事な、美しい字である。

 城山三郎自身の体験を綴った部分に、先輩の伊藤整から「プロの作家になるのだから、いつも自分を少しだけ無理な状態にするように」言われた、とある。アイデアやインスピレーションが自然に沸いたから小説を書くのではなく、インスピレーションを生み出す努力をしなければ小説は書けない、ということらしい。これは、あらゆる仕事に通じる言葉のような気がする。自分を壊すほど無理をするのではなく、少しだけ無理をすることで、やがて大きな実りがもたらされる。

 「少しだけ、無理をして生きる!」、武士の生き方も、同様だったかもしれない。                                                               

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                                                             代表取締役社長 高原 要次