“TPP反対!原発反対!武器輸出反対!”

 基本的に日本は、自主防衛と自立外交をめざし戦後の国策の転換を図るべきである。戦後66年、いまだ占領軍の制定した憲法を自らが平和憲法と称して変えることもせず、自らの国を自らが守るという当たり前の意思を失くし、若者はその特権である冒険心が失せ自立自尊の気概がない。政権が変わるたびにこの国のリーダーは弱体化し、幼稚化の度を増し、ますます混迷を深める。

 乾坤一擲、これから日本は自らが自らの価値観で凛とした国に向い、憲法を変え、教育を変え、“人類社会の豊かさに貢献する国”を目指す志高き国になるのである。

 さてTPP、資源小国の日本は原料を輸入し、卓越した「ものづくり」技術で製品化し、それを輸出することで国としその存在価値を高めてきた。つまり日本は、世界の国々との交易によって成り立つ国なのである。その意味で、日本の国益を増す互恵的な協定や市場の拡大は望むところである。しかし、ことTPPに関しては反対である。日本の国益にはならない。これはアメリカの国内事情に端を発した、自国に有利なルールで市場を統一しようとするアメリカ主導の経済連携協定である。今は農業が壊滅的な打撃を受けるということで国論を二分しているが、農業分野に限らず、金融、医療、保健、知財等広い分野でアメリカン・スタンダードを押し付けられることになる。もしも仮に、日本が交渉参加の意思を示したとしても、参加するにはアメリカ議会の承認がいる、とは一体どうゆう料簡なのだろうか・・・。

 1945年、広島と長崎に原子爆弾が投下され、何万と言う一般人が被爆し命を失った。広島の原爆記念公園には“過ちは二度と繰り返しません”と刻まれているが、誰のどのような過ちなのであろうか。日本が引き起こした戦争と言う悲劇なのか、アメリカが行った原子爆弾投下による無差別殺戮なのか、はたまた人類が「核(原子力)」というパンドラの箱を開けてしまったことなのか・・・。

 唯一の被爆国である日本は、世界の国々に対して果たすべき役割と責任がある。ひとつの方向は、人類が歴史上経験しなかった惨禍をもたらしたこの「核」を廃絶し、永久に放棄させる、その先導役を果たす。もう一つの方向は、「核」を人間の力で制御して、人類の文明に寄与させるために、絶対安全の基準まで技術を高め、平和利用のモデル国になること。

 今回の東日本大震災で、福島第一原発が被災し、放射能が飛散した。「核」を「原子力」と言葉を変えて安全の衣で覆っていたが、「核」は「核」として極めて危険であり、いまだ人類はこれを制御できるレベルにはないことが判明した。そうであれば、残された他方の道を歩むほかない。「核」廃絶である。軍事利用であろうが、平和利用であろうが、「核」は「核」として永久に廃棄する。

 1921年~27年駐日フランス大使を務めた詩人ポール・クローデルが帰国して次のように報告している。「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でどうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本人だ」と。

 勿論、世界の中の日本として共存を図らなければならない。しかし、長い歴史の中で培ってきた人としての、国としての生きる道を尊び、志を高くして日本独自の新しい明日を歩むのも一考かもしれない。「武器輸出」勿論反対、その道は歩まない。                                                          

                                                            代表取締役社長 高原 要次