ガランチードは、どこに行った!

08-11011先般、鹿児島大学のプロジェクトでブラジルに行った。内向きで、日本から出ようとしない学生に南米で実習をさせ、異文化の中から世界に目を開かせる。その候補地を探すためである。サンパウロ大学やサンカルロス大学と、またブラジルでの各県人会の方々と調整し、その目途が立ち、大きな成果を得ることができた。二年ぶりのブラジル訪問で、3つのことを考えさせられた。

今回4つの空港に立ち寄ったが、すべての空港での出発・到着案内スクリーンが全部韓国製(SAMSUNG)。3つのホテルに泊まったが、ここのテレビもすべて韓国製(SAMSUNG,LG)。以前は、日本のメーカーが、殆どで、韓国製は皆無であった。日本のプレゼンスの低下を目の当たりにした。我々は、小学校・中学校で「社会科」を学び、その一つに歴史(日本史)があった。ブラジルでは「歴史」というジャンルが独立して存在し、小学校から自国のことを学ぶ。語学の中の一つに「日本語」や「ブラジル語(ポルトガル語)」があるのではなく、「国語」として存在するように、歴史も「社会科」の中の一つではなく、「歴史」として自国を学ぶのである。その過程で国への誇りが醸成される。ヨーロッパの各国、アジアの国も、そのようである・・・。

“日本国内では、自分の親が死んだのに、その死を隠蔽し、保険金を騙して生活費にしている、と聞きましたが本当ですか?”、“母親が、保険金目当てにわが子を殺す、ということがあるようですが、本当ですか?”、ブラジル鹿児島県人会での戦後移住者からの質問だった。“祖国、日本は、そんなに変わってしまったのですか・・・”と。

ブラジルでは、日本人移住者は“ガランチード”と呼ばれる。「保証できる」、「信頼できる人」、「信用のおける人」という意味である。異国での過酷な状況にもめげず、誠実に真摯に働く姿が共感を呼び、その倫理観とあいまって信頼を勝ち得たのが日本人移民である。

明治、大正、昭和の多くの日本人が“ガランチード”だった。「得か損か」の価値基準ではなく、美しい生き方か、神や自然や周りに恥じないか、という判断基準があった。自国に誇りを持ち、自分の国は自分で守る。一人ひとりが自己に責任を持ち、美しい生き方をする。“菊と刀”を再興する必要があるかもしれない・・・。(高原要次)