“国際化”と“グローバル”

書生時代、実習したブラジルのサンパウロで、共に働く仲間から「Vem ca Japonese,Toma cafe!(オイ日本人、ここに来て、コーヒーを飲めよ!)」と声を掛けられた。彼は、私の名前が咄嗟に出なかったので“オイ日本人”と呼びかけたのかも知れないが、当初は親しい仲間から「オイ日本人」と呼びかけられることに違和感を感じた。日本国内では、外国人に対して、「オイ○○人」と呼びかけることはまずないし、まして親しい間柄では、ありえない。
08-10071ブラジルは移民の国である。「人種の坩堝」と言われるがごとく世界中から人が集って「ブラジル」という国を作っている訳だから、この国の社会そのものがグローバルであり、日々の普段の生活がグローバルである。何しろ、隣の主人はイタリア人、そのまた隣はポルトガル人、前はシリア人、それぞれの奥さんはまた別の国、という訳である。しかも、これらが混血すると何人なのか解らない、すべてブラジル人。
「日本」と「海外」という二軸でものを考えると、日本ではない海外は特別の世界で、日本人ではない外国人は特別な人、従ってその特別な人たちと「うまくやっていく術」が国際化であり、それができる人が国際人。そして、輸出や輸入の経済活動、交流や歓迎の社会活動になる。 これをA国、B国、C国、D国の複数軸で考えると、それぞれは特別な国ではなく、世界の中の一国、A国人、B国人、C国人、D国人は特別な人ではなく隣人。となれば、異国の人と仲良くなることは、日本人同士で仲良くなることと同様で、相手を認め、思いやり、尊重し、フランクに接することであろう。特別な人と、特別な接し方をするのではないように思う。
グローバルに活躍できる日本人を作ろうとする時に、個の確立ができる、日本人としてのアイデンティティを持つ、相手の文化を理解する、語学というコミュニケーションスキルを有する(英語が話せる)等は重要である。しかし、その根底に総合的な人間力が問われるように思う。日本で活躍できる日本人と同様であり、いわばEQ(Emotional Quotient) が高くないと、人と人とは上手くやれない。ゴルフの本を何冊読んでも上手くならない。リーダーシップの本を何十冊読んでも、リーダーシップは身につかない。行動しないと何も始まらない。人間力も「行動と気づき」の経験から醸成される。

先日、我が家にセネガル、ネパール、中国、韓国、インドネシア、ブラジルの留学生が田植えの手伝いに来た。まさに「人種の坩堝」と化した我が家の庭で、「オイ、ブラジル人、こっちに来て、お茶を飲めよ!」と親しみを込めて呼びかける私がいた。 (高原 要次)