本日天気晴朗ナレドモ波高シ

08-10011「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ナレドモ波高シ」明治38年(1905年)5月27日午後、朝鮮半島南東岸鎮海湾の連合艦隊旗艦「三笠」から東京の大本営あてに発せられた電文である。起草したのは秋山真之。そしてZ旗を掲げ、東郷平八郎司令長官から全艦隊の将士に告げられる「皇国ノ興廃此ノ一戦ニアリ、各員一層奮闘努力セヨ」、この電文を読んだだけで身震いするような高揚感を覚え、日本人として凛とした気持ちになる。
“まことに小さな国”が開花期を迎え、日露戦争という大きな困難に遭遇した。もしこの戦争に負けていれば、この国は滅びている。明治になってわずか38年、ロシアに対してまさに乾坤一擲の戦を挑んだのである。司馬遼太郎の「坂の上の雲」に登場する人物たちは“自らこそが国家を担う”というような気概に溢れ、誇り高き武人である。
日本海海戦で、何故勝てたのか・・・?第一は、秋山真之が編み出した「T字戦法(東郷ターン)」を覚悟もって採用したことであろう。彼は戦術を学ぶためアメリカに駐在武官として赴任しているが、結局は能島流水軍(村上水軍)の兵法書を下敷きにして、この戦術を考案した。第二は、実際の戦闘場面における、命中精度の高さであろう。ロシアの精度とは比較にならない。徹底した砲術訓練の賜物であり、統一射撃という作戦が功を奏した。そして第三は、何と言っても大本営の山本権兵衛、司令長官東郷平八郎、それぞれの艦を指揮する艦長たちのリーダーとしての存在と、リアリティのある働きであろう。結局は「人」である。

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この海戦、相対的な勝利では日本は存続できない。完璧なパーフェクトな勝利でないと国が滅ぶのである。国として、艦隊として、個人個人が決死の覚悟で望んだ戦いである。この先人に敬意を表するとともに、日本人であることを誇りに思う。 しかし、この完璧な勝利がその後の日本を誤らせる・・・。(高原要次)