“北辰斜にさすところ・・・”(1) ~旧制高等学校の教育とは~

08-0903“嗚呼玉杯に花うけて・・・(一高)”、“紅萌ゆる丘の花・・・(三高)”、“北辰斜にさすところ・・・(七高)”と、毎年各地で「寮歌祭」が行われ「高齢の青年達」が弊衣破帽で集い、放歌高吟し、その青春を共有する。

総じて、齢80を過ぎた彼らの人生で最も輝いていたのが高校生の時であり、デカンショ(デカルト、カント、ショーペンハーウェル)で教養を積み、ボート、排球、籠球、野球等の運動をし、そして寮の仲間と酒を酌み交わして天下国家を論じあった。まさに至宝の時であったであろう。
明治以降日本は、自らを近代国家に作り上げるために西欧文明の急速な摂取を必要とし、その学術研究と教育の最高機関として帝国大学を設置した。西欧文化の移入を急ぐ大学は、外国語による高度な教育が中心となったため、特にその予備教育を必要とし、明治19年(1886年)の中学校令により旧制高等学校が設置された。 旧制高等学校は、ナンバー校(明治時代設立校)が8校、地方校(大正・昭和時代設立校)が17校、他に七年制校10校、国立大予科6校の計41校であり、国家を背負うリーダーを養成する学府であった。

帝国大学への進学の特権をもつエリート校でありながら、独立した性格をもつところの世界でも類をみない学校であり、自由と自治が育まれ、学生はその青春を謳歌した。 旧制高等学校の教育の理念は、「教養」と「愛国心」であり、その根底に“武士道と騎士道”とが流れている。“生き方の鍛錬”と“リーダーシップ”の涵養が行われ、明治の後半から昭和の前半における日本の創った多くのリーダーは、その殆どが旧制高等学校を経ている。

翻って今の日本の教育や如何に・・・。“生き方の鍛錬”や如何に・・・。もし可能であれば、学校制度を元に戻したい。そして人生観、国家観(世界観)を有する凛としたリーダーを育てたい。 (高原要次)