“テゲテゲ”のすすめ

 司馬遼太郎の著書「この国のかたち」に次のような記述がある。西郷隆盛

“テゲテゲという方言が薩摩にある。テゲだけでもよい。『将たる者は下の者にテゲにいっておく』そういう使い方をする。薩摩の旧藩時代、上級武士にとって配下を統御する上で、倫理用語ともいうべきほどに重要な言葉だった。上の者は大方針のあらましを言うだけで、こまごました指図はしないのである。そういう態度をテゲとかテゲテゲとかいった。例えば、大将(薩摩では差引)を命じられた者は、命令はテゲテゲにし、細部は下級者に任せねばならないとされた。

戊辰戦争のときの薩摩軍をひきいた西郷隆盛や、日露戦争のとき野戦軍の総司令官だった大山巌、また連合艦隊を統率した東郷平八郎という三人の将領の共通点をみればわかる。みなテゲを守った。”
     
 薩摩では、母音の‘ai’を縮めて‘e’と発音するものが多い。「大根(ダイコン)」は「デコン」、「灰(ハイ)」は「ヘ」、「西郷(サイゴウ)どん」は「ゼゴドン」となる。「テゲ」とは「大概(タイガイ)」という意味である。

 リーダーが、「テゲ」にするとは、物事の本質を見極め、原理・原則を理解し、大局的な観点から意思決定し、方針を示す。そして、あとは部下に任せる。では、この「テゲ」ができるリーダーの決定的な要素は何であろうか。まずは、謙虚になれる絶対的な存在を持っていること。例えば、宗教、自然、師。次に、人に対する深い理解と愛情。まさに「敬天愛人」であり、この二つが所謂“徳”を持たせる。しかし、このリーダーとしての徳は、天与の才ではない。それは鍛錬によってもたらされる。若い時の西郷(吉之助)も、大山(弥介)も、鋭利な刃物の如き鋭さを持ち、戦略的で戦に強かった。しかも、何度も不遇を託ち、その度に蘇った。無能な戦士が有能な将になった例は極めて少ない。不遇の経験を待たない将は皆無に近い。
 リーダーは「テゲ」でありたい。鍛錬、鍛錬。(高原要次)